2008年7月9日水曜日

為政(いせい)第二-二十四

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子曰、非其鬼而祭之、諂也、見義不爲、無勇也、

子(し)曰(のたま)わく、其の鬼(き)に非(あら)ずして之を祭るは諂(へつら)いなり。義を見て為さざるは勇無きなり。

先生がいわれた、「わが家の精霊でもないのに祭るのは、へつらいである。[本来、祭るべきものではないのだから。]行うべきことを前にしながら行わないのは憶病ものである。[ためらって決心がつかないのだから]」
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■正義を実行しようとしない者に、真の成功はない。

 本来、祭るべきでないものを祭るのは鬼神へのへつらいだ、と孔子は言う。鬼神とは、荒々しく恐ろしい神、天地万物の霊魂、超人的な能力をもつ存在の総称と解釈すればよい。へつらいとは、おべっかやご機嫌取りのこと。また正しい人の道と知りながら、これをしないのは勇気のない人間である、とも言っている。現代ではこの「義を見て為さざるは勇無きなり」のフレーズだけが有名となって、人々の口に上っているようだ。
 「へつらい」や「勇無き」は、まったくダメ人間のことを言っているようだが、果たしてそうだろうか。現代では普通の人の日常茶飯事ではないのか。企業のような上下関係が厳しい世界においては、逆に必要不可欠なことという認識さえあるのではないだろうか。私たちが日々為していることは「へつらい」や「おべっか」「見て見ぬふり」で、本当にうまくいくのだろうか。これは長い目で見ると逆効果だと断言できる。人として為さなければならないことや正義を脇において、いったいどんな有意義な事業を成し遂げることができよう。自分の保身を考える前に、為すべきことは為す。そんな気概こそが成功を引き寄せる原動力だ。
 ビジネスでの長期的な成功を志す者としては、間違っているとは知りつつ、否定しない、直さない、こんなことで成功はおぼつかない。そもそも現代の日本は、この一点に重きを置かないが故に、日々マスコミを賑わす“偽装”社会を作ってきたのではないだろうか。「まあまあ」や「なあなあ」の精神が、日本という国家を腐敗させているのは事実だ。政治家、官僚、教師、企業家などなど、上から下まで、すべての階層が腐っている。孔子は「商売と言えども道がある」と教えている。道徳心の無い社会は、いずれ崩壊する。世界の歴史を学べば、おのずと分かるはずだ。

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