2008年7月9日水曜日

八佾(はちいつ)第三-七

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子曰、君子無所爭、必也射乎、揖譲而升下、而飮、其爭也君子、

子(し)曰(のたま)わく、君子は争う所無し。必ずや射(しゃ)か。揖譲(ゆうじょう)して升(のぼ)り下(くだ)り、而(しこう)して飲ましむ。其の争(あらそい)や君子なり。

先生がいわれた、「君子は何事にも争わない。あるとすれば弓争いだろう。[それにしても]会釈し譲り合って登り降りし、さて[競技が終わると勝者が敗者に]酒を飲ませる。その争いは君子的だ」
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■争いごとを好んではならない。もっと大きな心でそれを包み込め。

 君子たる者は争わない。世俗でも「金持ち喧嘩せず」などと言う。たとえ競争をするにしても、それが終われば、粋なはからいをする。日本の武道とて、本来はこのようなものだった。戦争の技術としての戦闘術が、いずれ平和の時が長くなればなるほどに、自分自身を鍛える手段・武道となった。精神的な修養をともなって一段と高みに昇華されたのだ。そもそも“武”とは、戈(ほこ)を止むと書く。武とは争いではなく争いを無くすためのものと解釈すべきだ。
 日本の武士道は、徳川幕府の時代を見るまでもなく、もっと以前より儒教との結びつきが強かった。侍は『論語』を第一の教養とし、空で暗唱できるほど読み込んだ。武士だけではない。寺子屋で庶民の子弟たちも『論語』を学んだ。武士道の精神形成は、儒教によるところが大きいと言うが、広く考えれば、明治以前の日本人の精神的バックボーンを作ったと言える。だから昔の日本人は“恥”を知っていた。めったに争わなかった。敗者にもそれ相応の敬意を示したものだ。
 今の日本人には、このような人としての気品が無い。すべて即物的に物事を解釈する。だから社会が乱れるのではないだろうか。簡単に武力でことを決着しようとする風潮すら感じさせる。そもそも戦争行為に“正義”は無い。たとえ片方が正義を唱えても、必ず相手方にも言い分というものがあるものだ。イスラム教とキリスト教の対立も、二千年以上続いているではないか。そのどちらにも“正義”はあるものだ。君子はそれを知るからこそ、争いを避けるのだ。サムライ気取りでビジネスに取組んでいる者ほど、再度この精神に立ち返るべきだ。よくよく考えて見るとよい。勝ち負けだけでやっているどの市場にも、決して未来はない。

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