2008年7月5日土曜日

為政(いせい)第二-十二

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子曰、君子不器、

子(し)曰(のたま)わく、君子は器(うつわ)ならず。

先生がいわれた「君子は器(うつわ)ものではない。[その働きは限定されなくて広く自由であるべきだ。]」
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■「器」ならざる人が真のリーダーである。

 あの人は器が大きい。器が小さい。などとよく言う。また「器ならざる」とも言う。孔子は「君子は器のようなものではなく器を使う人だ」と言っている。器とは道具であり、現代風に別の言い方をすればスキルであろう。本当の大人物は、こまごまとしたことを自分ではしない。その才のある人にやらせるということだ。
 『論語』を座右において、官を辞し明治日本の民間経済の基礎を造った渋沢栄一に言わせると、西郷隆盛は「器ならざる人」だったという。大変親切で同情心が深く、寡黙で、めったに談話をしなかった。見た目には、はたして偉い人なのか、鈍い人なのか分からないような風情で、愚賢を超越した将に将たる君子の趣きがあったと言う。木戸孝允は、西郷ほどではないにしろやはり器ではなかったと言う。勝海舟はどちらかと言うと達識はあったが「器」に近いところがあったとのこと。大久保利道は、得体の知れない人間で君子とはほど遠く渋沢が最も嫌った人だ。明治の英雄たちも、同じ明治人にかかると辛辣な批評対象となる。
 これは現代でも同じで、知識や才能はあるが、その腹の心がけ一つで、小人にもなるし大人、君子にもなれる。知識も、それが“見識”と呼ばれるように、またその実行にあたって“胆識”と感心されるような人物とならねばならない。ビジネスマンの最終目標は、「器が大きい」と言われるレベルではなく、「器ならず」と言われる人物だろう。

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