2008年7月10日木曜日

里仁(りじん)第四-十三

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子曰、能以禮讓爲國乎、何有、不能以禮讓爲國、如禮何、

子(し)曰(のたま)わく、能(よ)く礼譲(れいじょう)を以て国を為(おさ)めんか、何か有らん。能く礼譲を以て国を為めずんば、礼を如何(いか)にせん。

先生がいわれた「譲りあう心で国を治めることができたとしよう、何の[難しい]ことがあろう。譲り合う心で国を治めることができないなら、礼の定めがあってもどうしようぞ。」
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■大きな夢ほど、譲り合いの心で、もっと多くのものを取り込むべし。

 はたして、現代社会において、譲り合いの心で国は治まるのか?
 孔子は礼をもって国を治めようとした。礼を正し、自ら身を正せば、家も治まり、家が治まれば、国家も治まり、よって天下は泰平となる、と考えた。
 しかし哀しいことに、現代は“ミーイズム”の時代である。誰もが、オレが、オレが、の世の中である。個人も、会社も、社会も、国家も、とにかく世界中で“利己主義”が原理原則として働いている。経済人は利益利益と叫び、政治家も国益国益と叫び、宗教者たちさえも自宗のためにならぬ者はテロる時代なのだ。何かを他人に譲ろうものなら、即、転落の人生、競争社会の落伍者だと思い込んでしまう時代なのである。
 しかしどうであろうか、心の時代・21世紀に生きるビジネスパーソンとしては、今一度、“反ミーイズム”を考える価値はあるのではなかろうか。そもそも、そんな性質の悪い者たちと競い合っていかなければならないビジネスとは、三流のビジネスではないのか。
 ビジネスの鉄則にもある「損して、得取れ」と。また孔子も言うではないか。「利をとるにも義が必要だ」と。ここが重要な点だ。真のビジネスパーソンなら、世の中にとって価値あるオリジナルを創り出し、それを天下に安く広めること。このオンリーワンの価値作りこそが、現代社会で成功しているビジネスなのではないのか。
 そこには譲り合いの精神も必要となる。大きなビジネスほど周りを巻き込まなくてはならないからだ。IT業界におけるオープンソースビジネスの動きを見よ。いずれ、閉鎖的、独占的な手法で強引に突き進んできたマイクロソフト流のビジネスモデルは凋落してしまう運命だ。

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