2008年7月5日土曜日

為政(いせい)第二-十九

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哀公問曰、何爲則民服、孔子對曰、擧直錯諸枉、則民服、擧枉錯諸直、則民不服、

哀公(あいこう)問うて曰く、何を為(な)さば則(すなわ)ち民(たみ)服せん。孔子対(こた)えて曰わく、直(なお)きを挙(あ)げて諸(これ)を枉(まが)れるに錯(お)けば、則ち民服す。枉(まが)れるを挙げて諸を直きに錯けば、則ち民服せず。

哀公が「どうしたら人民が服従するだろうか。」とおたずねになったので、孔子は答えられた、「正しい人々をひきたてて邪悪な人々の上に位いづけたなら、人民は服従しますが、邪悪な人々をひきたてて正しい人々の上に位づけたなら、人民は服従いたしません。」
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■トップこそ、部下のお手本になるような正しい哲学を持て。

 魯国の君主・哀公の問いに孔子が答えた。「真っすぐな材木を曲がった材木の上に置けば、曲がった材木も真っすぐになるように、人民もお上に従うようになる」と。これは国家経営のたとえ話であり、人の上に立つ者がそれなりの人物でなければ、下の者が従わないのは自明の理である、ということだ。
 歴史をみるまでもなく、無能、凡才、悪者を、権力ある地位に付けてうまく行くはずもない。これは国家規模の問題ばかりではなく、企業の場合においても当てはまることだ。つまり才ある者を適材適所に配してそれを使うことなく、無能な血族や自分勝手な利己主義者などを責任ある地位につけると、たちまち会社は傾く。最近は、傾くどころの話ではない。ライブドア、雪印乳業、三菱自動車、不二家、赤福、船場吉兆…と、社名を並べるだけで、その末路がどのようなものなのかは、すでにお分かりのことだと思う。「コンプライアンス(法令遵守)」という言葉ばかりがマスコミに躍る毎日だが、これはそんな表面的な問題ではなく、もっと組織上の根っこの問題であろう。根本的な問題は、ひとえに経営哲学がしっかりしていない経営者たちが道を誤った、という問題ではなかろうか。つまり公共の福祉を無視した「利益至上主義」と「顧客への裏切り」を平気だと思う「腐った心」を持った社長がトップについていただけなのだ。腐ったリンゴが上にあれば、おのずと下も腐り始める。

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