2008年7月5日土曜日

為政(いせい)第二-十三

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子貢問君子、子曰、先行其言、而後從之、

子貢(しこう)君子を問う。子(し)曰(のたま)わく、先(ま)ず行う、其の言(ことば)は而(しか)る後(のち)に之に従(したが)う。

子貢が君子のことをおたずねした。先生はいわれた、「まずその言おうとすることを実行してから、あとでものをいうことだ。」
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■言葉は重いものである。行動なくして言を発するなかれ。

 子貢という弟子は、能弁家で優秀な人物だったが、行動が伴わないこともあった。それを孔子が諌めたという一節がこれ。「君子とは、まず行って、しかる後にこれを言葉にすることだ」と説いている。
 現代社会ほど、情報に溢れていながら、その言葉ひとつひとつに重みがない時代はないだろう。何十万人、何百万人に、一瞬にして一斉に情報を伝えることができるマスコミでさえ、“嘘”や“誤解”や“幼稚な論”がまかり通っている。ましてや情報発信に何の制約も無いインターネットの世界では、もっとタチの悪い人間たちが“無法世界”を作っている。現代社会では、情報洪水の中から、真に正しい情報を見つけ出すスキルが求められているほどなのだ。
 昔の人は、言葉を重視していた。特に東洋の社会では、言葉に霊が宿っていて、それを口にすること自体が憚れる、といった考えもあった。“言霊(ことだま)”という言葉があるほどであり、ましてや政治家などのリーダーたちは、自分の言葉に責任を持ったものだ。言を慎んでまずは実行せよ、というこの考え方は、まさに、現代社会のリーダーたちにこそ相応しい警告だろう。実行なきところに前進や成功はありえない。しかし現代社会は、情報さえ伝われば、それで事が終了した、という勘違いがある。問題は実体のある社会で、実体のある成果を出してこそ、はじめて言葉が言葉たり得るのだ。
 言葉ひとつで戦争も始まるし、言葉ひとつで死さえも覚悟しなければならなかった時代と現代はあまりにかけ離れすぎているが、であればなおさらのこと、この一点を忘れてはならない。言葉は、その人を表現する心の衣であり、その人の教養や考え方を明らかにするものだ。人間は、それにしっかりと責任を持たなければならない。無責任からは、何も生まれない。

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