2008年7月5日土曜日

為政(いせい)第二-十

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子曰、視其所以、觀其所由、察其所安、人焉捜哉、人焉捜哉、

子(し)曰(のたま)わく、其の以(な)す所を視(み)、其の由(よ)る所を観(み)、其の安(やす)んずる所を察(み)れば、人(ひと)焉(いすく)んぞ叟(かく)さんや。人焉んぞ叟さんや。

先生がいわれた、「その人のふるまいを見、その人の経歴を観察し、その人の落ちつきどころを調べたなら、[その人柄は]どんな人でも隠せない。どんな人でも隠せない」
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■「視」「観」「察」を駆使して、その人物を見極めよ。

 人が社会で何か事をなすには、何よりもまず人物の鑑識眼が大切である。いわゆる「人を見る目」である。特に組織的に複数人で活動するビジネスの場においては、これが無ければ何をしても失敗しかねない。「人に騙された」「スタッフが悪かった」と後で悔やんでも、結局は人を見る目が未熟だった自分自身が悪いのである。
 ここで孔子は、効果的な人物観察法として、視(し)・観(かん)・察(さつ)の三つの見方を説いている。第一に、その人の外面に現れた行為の良し悪しを視る。第二は、その行為の動機が何であるかをしっかりと観きわめる。第三は、更にその人の行為の落ち着くところはどこなのか、一体何に満足しているのかを察知すれば、必ずその人の真の姿が分かる、という見方だ。たとえ表向きには正しい行為に見えたとしても、その行為がもたらす結果が「悪性」を持っていたら、その人は決して清廉潔白な正しい人物とは言えないかも知れない。世の中、結構このようなことがまかり通っている。
 最初は誤解や批判を受けるような行為かも知れないが、人の圧力をものともせずに実行し、最後は皆のためになる結果を出す人もいる。このような人は政治家向きなのかも知れない。または、人のため地域のため、と称しながら、結局は私腹を肥やすようなことをする“政治屋”もいる。さてどちらが、君子然たる行為なのか。ビジネスリーダーたる者、人をどう見抜くかが、その第一の素養と心得るべきだろう。

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