2008年7月5日土曜日

為政(いせい)第二-十六

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子曰、攻乎異端、斯害也已矣、

子(し)曰(のたま)わく、異端(いたん)を攻(おさ)むるは、斯(こ)れ害(がい)のみ。

先生がいわれた、「聖人の道と違ったことを研究するのは、ただ害があるだけだ」

《別の学説》
子(し)曰(のたま)わく、異端(いたん)を攻(おさ)むれば、ここに害(がい)やまん。

先生がいわれた、「自分と対立する学説を研究してこそ、過ちを免れることができる」
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■異質を嫌うのか、包容するのか。ここが人間の器量を左右する。

 この一節は、読み方を変えれば全く正反対の意味となる。学説もいろいろあるようだが、ようは両意とも真理だと思えば良い。どんな世界でも、陰陽があり、表裏があり、正道と異端がある。“正しい道”と違ったことをするのは、本当に害をもたらす。しかしまた、自分の考えがいつも“正しい”とは限らない。別世界の人に言わせれば、まったく正反対の解釈をする場合もある。特に国際的な仕事をする場合には要注意であろう。だからこそ、また“自分とは違う説”も学ばなければならない。
 世界は大きい。特に仏教的な思考をする日本人が、キリスト教的な思考をする外国人と全く価値観があうはずもななかろう。ましてやイスラム教的な思考には、ついていけないであろう。しかしそれら“異教徒たちの考え”が、全く自分とは関係のないものだろうか。間接の間接として、回り回って、最後には自分に接点を持つ場合もあるのだ。敵の敵は味方の場合もあるように。思考の三原則は「短期だけでは無く長期的な視点も持つ」「一面だけではなく多面・全面的に視る」「枝葉だけではなく幹そのものを視る」という。この学びも、中国の古典からくるものだ。ビジネスは「なんでもあり」の世界なのだ。もっと柔軟に思考すべきなのだ。

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