2008年7月9日水曜日

八佾(はちいつ)第三-二十二

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子曰、管仲之器小哉、或曰、管仲儉乎、曰、管氏有三歸、官事不攝、焉得儉乎、曰然則管仲知禮乎、曰、邦君樹塞門、管氏亦樹塞門、邦君爲兩君之好、有反沾、管氏亦有反沾、管氏而知禮、孰不知禮、

子(し)曰(のたま)わく、管仲(かんちゅう)の器(き)は小(しょう)なるかな。或るひと曰く、管仲は倹(けん)なるか。曰わく、管氏(かんし)に三帰(さんき)あり、官(かん)の事(こと)は摂(か)ねず、焉(いずく)んぞ倹なるを得ん。然(しか)らば則(すなわ)ち管仲は礼を知るか。曰わく、邦君(ほうくん)樹(じゅ)して門(もん)を塞(ふさ)ぐ、管氏も亦(また)樹して門を塞ぐ、邦君(ぼうくん)両君(りょうくん)の好(よしみ)を為すに、反拈(はんてん)あり、菅氏も亦反拈あり。菅氏にして礼を知らば、孰(たれ)か礼を知らざらん。

先生がいわれた、「管仲の器は小さいね。」ある人が「管仲は倹約だったのですか。」というと、「管氏には三つの邸宅があり、家臣の事務もかけ持ちなしで[それぞれ専任をおいて]させていた。どうして倹約といえようか。」「それでは管仲は礼をわきまえていたのですか。」「国君は目隠しの塀を立てて門をふさぐが、管氏も[陪臣の身でありながら]やはり塀を立てて門の目隠しにした。国君が二人で修好するときには、盃をもどす台を設けるが、管氏にもやはり盃をもどす台があった。管氏でも礼をわきまえているなら、礼をわきまえないものなど誰もなかろう。」
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■コラムは後日記載する

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