2008年7月9日水曜日

八佾(はちいつ)第三-三

──────────────────────────────────────────
子曰、人而不仁、如禮何、人而不仁、如樂何、

子(し)曰(のたま)わく、人にして仁ならずんば、礼を如何(いか)にせん。人にして仁ならずんば、楽(がく)を如何にせん。

先生がいわれた「人として仁でなければ、礼があってもどうしようぞ。人として仁でなければ楽があってもどうしようぞ」
──────────────────────────────────────────
■人として一番大切なものに、「仁」があることを知れ。

 儒学において「仁」とは、重要な「五徳」のひとつとして重視された「人を思いやる心」。いわば「愛」という概念に近いだろう。『論語』全体を通してこの仁の貴さが説かれている。「楽」とは音楽のこと。礼儀と並んで、人間の礼法にかなった身のこなしや品性をととのえるものとして考えられていた。孔子は、礼や楽があっても、仁がなければ人としてダメだ、と教えている。孔子が最も重視した徳のひとつなのだ。
 礼儀について言えば、いくら有名な礼儀作法の小笠原流を修めていても、たとえ茶道の作法を知っていたとしても、結局は人としての愛情や他者を尊重する心が根底になければ、そのスキルはすべて偽物である。マニュアル至上主義の社会である現代こそ、特にこの点を強く意識しなければならないだろう。
 現代人は、情報過多でいろいろな知識を持っている。また学歴も高い。しかし、いっこうに「人としての過ち」から脱することができないのは、どういうことなのか。思うに、二千数百年前の人間よりも、現代人のほうが、人としての生き方に尊敬できかねる人物が多いのではないかと感じる。犯罪事件ひとつとっても、昔はやむにやまれぬ切迫した感情で罪を犯したのだろうが、今は何の脈絡もなく私利私欲のためにそれを犯す人間が多い。
 ビジネスパーソンである前に、ひとりの人間としての哲学がしっかりと身についていなければ、何ごとも成功しない。このことは『論語』が終始一貫して語っている通りである。だからこそ、この書は二千数百年間読み伝えられたのだ。『論語』を学んで人生やビジネスに活かそう思う者は、まずこの「仁」を体得しなければならない。

0 件のコメント: