2008年7月5日土曜日

為政(いせい)第二-十五

──────────────────────────────────────────
子曰、學而不思則罔、思而不學則殆、

子(し)曰(のたま)わく、学びて思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)く、思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し。

先生がいわれた、「学んでも考えなければ[ものごとは]はっきりしない。考えても学ばなければ[独断に陥って]危険である。」
──────────────────────────────────────────
■学んで、考えよ。独断専行の行動は自らを危うくする。

 論語は、活学である。書物で学ぶだけ、分かった気分になっただけでは意味がない。実行が伴わなければ時間の無駄である。それこそ「論語読みの論語知らず」である。孔子の人生も「徳」を世間に広め、世の中を改革することにこそ、その本義があった。中国の戦国動乱の時代に生きたからこそ、その意が強かったのだ。
 私たちの現代もまた、その意味では“戦国時代”である。国際社会で断続的に起こる戦争・紛争だけではなく、ビジネスの社会でも戦争のように様々な革新や破壊が行われている。またビジネス実行においても道徳心の無さから、社会に様々な遺恨を残している。孔子は「商いの中にも道がある」と言っている。企業の“利益至上主義”は、様々な弊害をもたらしている。公害問題、環境問題もしかりである。私たちは、はたして過去からしっかりと学んでビジネスを創造しているだろうか。はたまた、世のスピードにかまけて、学ぼうとせずに、後先を考えずに巨大な力を行使してはいないだろうか。
 私たちがまずしっかりと考えたり思ったりしなければならないのは、「何のために仕事をしているのか」なのだ。それは、社会への貢献であり、人々の幸せのためではないのか。もう一度初心に返って、そこを見直さなければならないと思う。「学んで思う」「思って学ぶ」「学ぶ」と「思う」の二つがあいまって、はじめて「活学」となり、「実業」となるのである。

0 件のコメント: