2008年7月5日土曜日

為政(いせい)第二-四

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子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰、

子(し)曰(のたま)わく、吾(われ)十(じゅう)有(ゆう)五(ご)にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳(みみ)順(したが)い、七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず。

先生がいわれた、「私は十五歳で学問に志し、三十になって独立した立場を持ち、四十になってあれこれと迷わず、五十になって天命をわきまえ、六十になって人のことばがすなおに聞かれ、七十になると思うままにふるまってそれで道をはずれないようになった」
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■自分の人生設計とそのロードマップを作れ。

 これも孔子の言葉の中で最も有名なものの一つである。孔子は七十三歳で亡くなったとされているが、これを二十一世紀の現代人に当てはめて考えるのは間違いであろう。何せ二千五百年前の人物なのだ。日本では四百数十年前の織田信長の時代でさえ人生五十年と言われていたはずだ。十二、三歳で元服し、三十歳代で隠居している人生観だ。また孔子の身の丈は、1メートル90センチ以上はあったのではないかとされているので、人並みはずれた長寿の大男であったろう。時代が時代なので、知とともに武にも優れていたというのだから、まるで中国のスーパーマンのような存在だ。聖人なので多少の脚色はしかたのないことかもしれない。
 現代で考えれば、もっと前倒しの人生観で解釈するのが妥当なところだろう。しかし、ここで私たちが学ばなければならないのは、人生計画、いわば自分の成長過程のロードマップをしっかりと弟子に説いている点だ。とかく人は、人生を成り行き任せで生きていくものだが、孔子は弟子たちに「人生の目標と期限を定めて生きよ」と言いたかったのかもしれない。
 現代風に解釈するなら、十代で学問に志すことを始発点とし、二十代で精神的にも経済的にも独立し、三十代にはあれこれ迷わずにまっしぐらに仕事に生き、四十代に自分の社会的な使命を自覚し、五十代には何事にも動じないで後輩たちをも教育し、六十代には、自由に生きれるようになる。しかしその生き方は決して道を踏み外さない生き方であろう、というくらいになるだろう。まさしく、現代においても理想の人生設計である。

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