2008年7月5日土曜日

學而(がくじ)第一-十五

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子貢曰、貧而無諂、富而無驕、何如、子曰、可也、未若貧時樂道、富而好禮者也、子貢曰、詩言、如切如磋、如琢如磨、其斯之謂與、子曰、賜也、始可與言詩已矣、告諸往而知來者也、

子貢(しこう)曰(いわ)く、貧しくして諂(へつら)うこと無く、富みて驕(おご)ること無きは何如(いかん)。子(し)曰(のたま)わく、可なり。未(いま)だ貧しくして道を楽しみ、富みて礼を好む者には若(し)かざるなり。子貢曰く、詩(し)に言う、切(せっ)するが如く磋(さ)するが如く、琢(たく)するが如く磨(ま)するが如しと。其れ斯(こ)れ之(これ)を謂(い)うか。子(し)曰(のたま)わく、賜(し)や、始(はじ)めて与(とも)に詩(し)を言うべきのみ。諸(これ)に往(おう)を告げて来(らい)を知る者なり。

子貢がいった、「貧乏であってもへつらわず、金持ちであってもいばらないというのは、いかがでしょうか。」先生は答えられた、「よろしい。だが、貧乏であっても道を楽しみ、金持ちであっても礼儀を好むというのには及ばない。」子貢がいった、「詩経に『切るが如く、磋るが如く、琢つが如く、磨くが如く、』と[いやがうえにも立派にすること]うたっているのは、ちょうどこのことでしょうね。」先生はいわれた「賜よ、それでこそ一緒に詩の話ができるね。前のことを話して聞かせるとまだ話さない後のことまで分かるのだから。」
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■切磋琢磨の心を内に秘めて、人には謙虚に接しなさい。

 貧乏であってもへつらいも無く、金持ちであっても驕ることの無いのは立派なことだが、貧乏な時にも道を楽しみ、金持ちであっても礼儀を忘れないと言うのは、もう一段上のレベルなのだ。企業にあっても、どうせ自分はヒラ社員だから、あまり出しゃばらないでおこう、役職者だから、控えめにして威張らないでおこうという姿勢だけでは、人の心に響かない。「こんな立場の人なのに、こんなことまで出来るのか」「こんな偉い人なのにこんな丁寧な態度で人と対応してくれのか」と感じたことはないだろうか。「能ある鷹は爪を隠す」というが、東洋人は奥ゆかしくも堂々たる態度の人を尊敬する。私は、私は、と言う自己主張の強さが尊ばれる現代では少々時代遅れかも知れないが、本当に力のある人物はいつも自然体である。それは更なる自分の力を最大限に引き出すための態度なのだ。
 また「骨や角を加工する職人がすでに切って形を整えた品に、さらにヤスリをかけてとぎ、玉や石を細工する職人がうって形を仕上げた品に、さらに砂石で磨く」という詩を持ち出し、先生はこのことを言われているのですね、と子貢が言い、孔子に褒められる。この詩句から「切磋琢磨」という故事成語が生じている。仕事の肝も、このもう一歩踏み込んだ態度、あと一押しの姿勢なのだ。

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