2008年7月10日木曜日

里仁(りじん)第四-十

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子曰、君子之於天下也、無適也、無莫也、義之與比、

子(し)曰(のたま)わく、君子の天下に於(お)けるや、適(てき)も無く、莫(ばく)も無し。義に之与(とも)に比(したが)う。

先生がいわれた、「君子が天下のことに対するには、さからうこともなければ、愛着することもない。[主観を去って]ただ正義に親しんでゆく」
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■ただ正義に親しんでいく、悠々たる達観した哲学を持て。

 君子が天下のことに対するように、我々もまた仕事に対して、このようにありたい。逆らうことも無ければ、執着することもないように。つまりは世の流れに任せて、自然体の構えで、事に当たりたいものだ。そして、ただ正しいことに従っていくという、心安らかで達観した哲学があるのみでよい。
 たとえば、武道の第一の心得もまた、自然体である。戦いを目前にしているからといって、いきり立ったり、興奮したり、いつもと違う格好をする輩は、二流三流の士だといってまず間違いない。動物でも、弱いものほどよく吠える。鈍いものほど、硬い皮や針や擬態で我が身を守ろうとする。
 また歴戦の兵士は、いつ何時に戦が始まるといっても狼狽えない。それは、いつ何時であっても大丈夫なように、普段から準備万端整っているからである。武術の逹人も然り。すらりと、その立ち姿をみるだけでも、常人とは違う。ゆったりとリラックスしているようでも、スキがない。いつ襲いかかったとしても、ひょいと体を交わし、即座に攻撃に移れるような柔軟さがある。
 これは身体の問題だけではない。精神とて同じことなのだ。いや精神をこそ、このような次元にまで到達させたいものだ。よくよく、自分の周りを見よ。普段から正しい道や法というものを知る者は、ゆったりと微笑みながら事に当たっているはずだ。

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