2008年7月24日木曜日

里仁(りじん)第四-十五

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子曰、參乎、吾道一以貫之哉、曾子曰、唯、子出、門人問曰、何謂也、曾子曰、夫子之道、忠恕而已無、

子(し)曰(のたま)わく、参(しん)や、吾(わ)が道は一(いつ)以て之を貫く。曾子(そうし)曰く、唯(い)。子(し)出(い)ず。門人(もんじん)問うて曰く、何の謂(いい)ぞや。曾子曰く、夫子(ふうし)の道は、忠恕(ちゅうじょ)のみ。

先生がいわれた「参(しん)よ、わが道は一つのことで貫かれている。」曾子は「はい。」といわれた。先生が出て行かれると、門人が訊ねた、「どういう意味でしょうか」曾子はいわれた、「先生の道は忠恕のまごころだけです」
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■学ぶ者はすべて、師の心を知り尽くした弟子となれ。

 「忠恕」は、論語の肝である。意味的には「忠は、自分の内なるまごころにそむかぬこと、恕は、まごころによる他人への思いやり」を言うが、孔子は、弟子の曾子(参とは曾子のあざ名)に、そのことをすでに承知のこととして言った。また曾子も、その一つのこととは何かを質問せずに「はい。」とだけ答えた。師弟のあうんの呼吸に、未熟な弟子がそれを問うたのだ。
 自分の哲学を、いとも簡単に、さらりと言ってのけた孔子もあっぱれだが、その弟子の曾子もまた傑物であった。論語の中で、孔子と弟子達の麗しい関係が、手に取るように起想される美しいシーンの一つである。師弟の関係、上司と部下の関係も、こうありたいものである。
 昨今、会社組織の中で行われる研修をいろいろと研究しているが、「リーダーはこうあるべき…」という講座は多いが、「フォロアー(従うべき者)はこうあるべき…」という講座は少ない。師匠が一言いえば、弟子は、ああだこうだ言わず「はい」とだけ答える関係は、まさに理想の関係であろう。それは、弟子が師匠の心の内をすべて読み解いていなければ、こうはいかないからだ。
 アメリカのエリート養成の名門校の一つ、陸軍士官学校(ウエストポイント)の教育でも、もっとも重視されるのは「いかに上部の権威に従うべきか」ということだそうだ。徹底的に、新入生の時からこのことを叩き込まれるという。いわば「フォロアーシップ」をどう身に付けるかは、「リーダーシップ」をどう身に付けるか、と同義だという。従うべき心を持たないものは、素晴らしいリーダーにはなれないという哲学だ。ここから多くの卒業生が大統領にまで上り詰めているが、彼らが、軍のトップである将軍になったときも、従うべき上の権威はあった。それは大統領である。そして彼らがまた出世して大統領になったとしても、そこにはまた、従うべき上の権威があるのだ。それが「国民」である。

2008年7月10日木曜日

里仁(りじん)第四-十四

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子曰、不患無位、患所以立、不患莫己知、求爲可知也、

子(し)曰(のたま)わく、位(くらい)無きを患(うれ)えず、立つ所以(ゆえん)を患う。己(おのれ)を知る莫(な)きを患えず、知らるべきを為すを求むるなり。

先生がいわれた「地位のないことを気にかけないで、地位を得るための[正しい]方法を気にかけることだ。自分を認めてくれる人がいないことを気にかけないで、認められるだけのことをしようと勤めることだ」
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■他人の評価に負ける者は、自分の夢を実現できない。

 人を幸せにするのも人、人を不幸にするのも人。人は、他人から良い評価を貰いたいがために頑張る存在だ。栄光、称賛、喝采、人は他人の評価の一つ一つに一喜一憂し、それを自分の勲章とする。そしてそれがその人の誇りや地位を形成する。
 しかし、志を高く持つ人ならこそ、目先の他人の評価ばかりに目を奪われるべきではない。評価が低く、そのために地位も無いからといって腐ってばかりいては、ますます先へと進めない。時間のロスだ。それより自分の成長に全身全霊で集中しよう。成功者の共通点は、成功するまでなりふり構わず先へ先へと突進するところなのだ。人から馬鹿呼ばわりされようとも、自分の道を信じて突進するところなのだ。
 所詮、人間は他人を100%理解できる訳ではない。自分のことさえも分からない馬鹿者たちから評価されても嬉しくはないように、真の評価とは、人物を極めた君子からの評価こそ、真の価値ある評価なのだ。それよりも自分に磨きをかけることにこそ心血を注ぐべきであろう。そんな人物なら、遅かれ早かれ必ず他人に見い出されるものだ。そしてそれに相応しい地位につけるものと考えよう。亀と兎の逸話のように、早く走ろうとしては失敗する。一歩一歩、前へ前へと進む気概こそが成功のゴールへと導いてくれる。まずは、自分の計画や目標、なによりそれを貫徹したいと願う自分自身を信じることだ。

里仁(りじん)第四-十三

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子曰、能以禮讓爲國乎、何有、不能以禮讓爲國、如禮何、

子(し)曰(のたま)わく、能(よ)く礼譲(れいじょう)を以て国を為(おさ)めんか、何か有らん。能く礼譲を以て国を為めずんば、礼を如何(いか)にせん。

先生がいわれた「譲りあう心で国を治めることができたとしよう、何の[難しい]ことがあろう。譲り合う心で国を治めることができないなら、礼の定めがあってもどうしようぞ。」
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■大きな夢ほど、譲り合いの心で、もっと多くのものを取り込むべし。

 はたして、現代社会において、譲り合いの心で国は治まるのか?
 孔子は礼をもって国を治めようとした。礼を正し、自ら身を正せば、家も治まり、家が治まれば、国家も治まり、よって天下は泰平となる、と考えた。
 しかし哀しいことに、現代は“ミーイズム”の時代である。誰もが、オレが、オレが、の世の中である。個人も、会社も、社会も、国家も、とにかく世界中で“利己主義”が原理原則として働いている。経済人は利益利益と叫び、政治家も国益国益と叫び、宗教者たちさえも自宗のためにならぬ者はテロる時代なのだ。何かを他人に譲ろうものなら、即、転落の人生、競争社会の落伍者だと思い込んでしまう時代なのである。
 しかしどうであろうか、心の時代・21世紀に生きるビジネスパーソンとしては、今一度、“反ミーイズム”を考える価値はあるのではなかろうか。そもそも、そんな性質の悪い者たちと競い合っていかなければならないビジネスとは、三流のビジネスではないのか。
 ビジネスの鉄則にもある「損して、得取れ」と。また孔子も言うではないか。「利をとるにも義が必要だ」と。ここが重要な点だ。真のビジネスパーソンなら、世の中にとって価値あるオリジナルを創り出し、それを天下に安く広めること。このオンリーワンの価値作りこそが、現代社会で成功しているビジネスなのではないのか。
 そこには譲り合いの精神も必要となる。大きなビジネスほど周りを巻き込まなくてはならないからだ。IT業界におけるオープンソースビジネスの動きを見よ。いずれ、閉鎖的、独占的な手法で強引に突き進んできたマイクロソフト流のビジネスモデルは凋落してしまう運命だ。

里仁(りじん)第四-十二

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子曰、放於利而行、多怨、

子(し)曰(のたま)わく、利に放(よ)りて行えば、怨(うらみ)多し。

先生がいわれた、「利益ばかりにもたれて行動をしていると、怨まれることが多い」
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■義を省みずに利ばかりを追えば、やがて破滅する。

 “利”は宝でもあるが、“恨み”の種でもある。お金持ちは、羨ましがられることはあっても、他人からの同情や好意を得ることは稀である。それは“利”とは、プラスとマイナスが表裏一体であることを人は知ってるからだ。いま私たちは“ゼロサム社会”に生きている。プラスを得る人の裏には、必ずマイナスを押付けられる人たちがいる。株式しかり。安値で買いたたき高値で売り抜ける人がいれば、高値をつかまされて安値で売らされる人がいて、株式市場は成立する。全員が同様の利益を取れるルールではない。
 地球規模の環境問題も同様だ。先進諸国が世界中に有害物質をばらまきながら経済発展をしてきた。いま発展途上国がその損害を受けて四苦八苦している。しかし発展途上国がいまになって有害物質をばらまくことに、先進諸国は圧力をかける。まさに早い者勝ち、強い者勝ちの論理だ。そこに、先進諸国と発展途上国の間に「仁」のある利益配分などは無い。
 しかしこのような現実の中、先進諸国の一部には、そのルールを修正しようとする動きもある。たとえばチョコレートの場合、食品原料を徹底的に安値で買いたたき、徹底的に現地生産者を搾取していた企業が、“適正価格”を支払うことが消費者に好感を持たれることに気づいた。他国の労働者を奴隷のような働かせて作った安いチョコが、甘く美味しい訳ではなくなったのだ。また“ブラッドダイヤモンド”ともいわれるアフリカ紛争地区産のダイヤモンドの場合、そのダイヤモンドを先進国が買うたびに武器が供給され、人命が失われていることを知った婦人たちが、その宝飾品を自慢気に身に付けることが恥ずかしくなったのだ。
 ビジネスは利を取るにあるが、そこには義が必要だ。孔子の教えは、ビジネスという競争の世界においても、人としての道を忘れるな、と説いている。

里仁(りじん)第四-十一

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子曰、君子懷徳、小人懷土、君子懷刑、小人懷惠、

子(し)曰(のたま)わく、君子は徳を懐(おも)い、小人(しょうじん)は土(ど)を懐う。君子は刑を懐い、小人は恵(けい)を懐う。

先生がいわれた「君子は道徳を思うが、小人は土地を思う。君子は法則を思うが、小人は恩恵を思う」
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■目には見えない「仁の法則」を知ってこそ、君子である。

 君子は人生の原理原則に思いを至らせ、つまらない人間は実利を追う。現代資本主義社会に生きる人間から見れば、いささか浮世離れしていることだと思うだろう。しかし、現代だからこそ、この古い教えに立ち返りたいものだ。
 現代人は、土地持ち、金持ちを尊敬するのだろうが、論語は“利”より“義”を尊ぶ。利益を得るにあたっても、その方法に“不義”はないかと問う。人の道にはずれた方法でいくら財産家になったとしても、その人は尊敬されない。こんな哲学を持たない家庭や国家は、必ず荒れていくものだ。現代日本人の心の乱れは、ひとえに「取ったもの勝ち」と言えるような、殺伐とした弱肉強食の資本主義思想の蔓延に原因がある。これは断言できる。だからこそ今、社会全体が貧乏だった頃の昭和三十年代を舞台にした映画などが流行っているのだ。人は貧乏であっても温かい人間関係にこそ幸福を感じるのだ。ギスギスした人間関係の物量豊かな環境を選ぶのか、思いやりがある質素な暮らしを選ぶのか。ほとんどの人間は後者を選ぶに違いない。
 「貧すれば鈍する」という人もいるだろう。「衣食足りて礼節を知る」ということも正しい。しかし論語に一貫している思想は「仁」であり「徳」である。これなくしては、どんな価値観も輝かない。この一点は、たとえビジネス社会でも同様だ。仁や徳の無いビジネスで、例え一時的にも金銭的な成功を収めたとしても、必ずその崩壊は早い。

里仁(りじん)第四-十

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子曰、君子之於天下也、無適也、無莫也、義之與比、

子(し)曰(のたま)わく、君子の天下に於(お)けるや、適(てき)も無く、莫(ばく)も無し。義に之与(とも)に比(したが)う。

先生がいわれた、「君子が天下のことに対するには、さからうこともなければ、愛着することもない。[主観を去って]ただ正義に親しんでゆく」
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■ただ正義に親しんでいく、悠々たる達観した哲学を持て。

 君子が天下のことに対するように、我々もまた仕事に対して、このようにありたい。逆らうことも無ければ、執着することもないように。つまりは世の流れに任せて、自然体の構えで、事に当たりたいものだ。そして、ただ正しいことに従っていくという、心安らかで達観した哲学があるのみでよい。
 たとえば、武道の第一の心得もまた、自然体である。戦いを目前にしているからといって、いきり立ったり、興奮したり、いつもと違う格好をする輩は、二流三流の士だといってまず間違いない。動物でも、弱いものほどよく吠える。鈍いものほど、硬い皮や針や擬態で我が身を守ろうとする。
 また歴戦の兵士は、いつ何時に戦が始まるといっても狼狽えない。それは、いつ何時であっても大丈夫なように、普段から準備万端整っているからである。武術の逹人も然り。すらりと、その立ち姿をみるだけでも、常人とは違う。ゆったりとリラックスしているようでも、スキがない。いつ襲いかかったとしても、ひょいと体を交わし、即座に攻撃に移れるような柔軟さがある。
 これは身体の問題だけではない。精神とて同じことなのだ。いや精神をこそ、このような次元にまで到達させたいものだ。よくよく、自分の周りを見よ。普段から正しい道や法というものを知る者は、ゆったりと微笑みながら事に当たっているはずだ。

2008年7月9日水曜日

里仁(りじん)第四-九

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子曰、士志於道、而恥惡衣惡食者、未足與議也、

子(し)曰(のたま)わく、士(し)、道に志して、悪衣(あくい)悪食(あくしょく)を恥ずる者は、未だ与(とも)に議(はか)るに足らざるなり。

先生がいわれた、「道を目指す士人でいて粗衣粗食を恥じるような者は、ともに語るに足らない」
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■見栄えや苦しい生活を恥じる者は、大きな志を叶えることはできない。

 「士」とは「さむらい」のこと。並みの人ではちょっとできないようなことをやってのける人。古代中国社会においては統治階層を指し、学問、教養、地位などのある立派な人のことをいう。こういう人で、かつ道を志そうという思いの人が、粗衣粗食を恥じるようでは、交流するに値しないということだ。
 人は、大きな目標があれば、自分の生活の不自由さなどを気にしてはいられない。逆に、贅沢と飽食をしながら、大きな目標を達成したいなどと考えるのは、そもそも甘い考えといえる。その程度の志なら、やってもやらなくても同じこと。二兎を追う者は一兎をも得ず。やはり大きな目標には、何かしらの犠牲が必要なのだ。まして大きな志を持ちながら、ボロを着て粗食に耐えていることを恥じているようでは、それに理解を示している人たちもがっかりすることだろう。
 「武士は食わねど高楊枝」という諺もあるが、そんな見栄も必要ない。正しい道を見出して、それに向かって頑張っている人物なら、身なりや生活水準は第二義的な問題となる。人間が最も輝いて見えるのは、高い理想を求めて一心不乱に活動している姿である。なにもこのことは、若者ばかりに当てはまる教えではない。もっと年をとった人物であっても同様だ。もっとも、「汚い」「むさ苦しい」といった風情では論外であろうが、「清潔」「質素」であれば、なんらその人物の評価を下げるものではない。むしろ、例え金持ちであっても、なんの志も無く、日々怠惰な生活をしていながら、飽食とギンギラの宝飾品で身を飾っている者のほうがよほど卑しく見えるものだ。

里仁(りじん)第四-八

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子曰、朝聞道、夕死可矣、

子(し)曰(のたま)わく、朝(あした)に道を聞きては、夕べに死すとも可なり。

先生がいわれた、「朝[正しい真実の]道がきけたら、その晩に死んでもよろしいね」
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■命をかけるくらいの求道精神を持って学べ!

 この項は論語の中でも最も有名な言葉のひとつであろう。人はなぜ学問をするのか。それを考えるとよい。論語の他項にも同じような教えがあるが、立身出世やお金のために学問をするのではあるまい。世の中の真理を極めるため、また人としての正しい生き方や幸福を知るために学問をするのである。それがここで言う「道」であろう。人としての「正しい道」を体得できれば、その晩に死んでもいいとさえ思う。つまりそれくらいの覚悟が必要なのだ。自分の命と引き換えに、正しい道を極めたいと願う。それくらいの決意で生きなさい、ということなのだ。また孔子自身もそのように生きている、ということを弟子たちに語ったのだろう。特に残虐非道を極めた春秋戦国時代に生きていた孔子たちにとっては、その「道」を希求する精神は並外れて強かったのではあるまいか。
 私が敬愛するインドのガンジーの言葉にもこういうものがある。「自分は明日死ぬと思って今日を生きなさい。自分の命は永遠だと思って勉強しなさい」。これこそ日々勉強する者たちの好ましい態度だと思う。現代人は「学ぶ」ということの本質を知らないようだ。学校でも教えていないのではないかと思う。多くの人々は、進学するため、就職するため、出世をするため、高給を得るために勉強をしているのではないか。だから高齢になればなるほど、その学習意欲も無くなっていくのではないだろうか。しかし、世の中の真理を極めたい、人間を知り尽くしたい、といった強い情熱をもって勉強すれば、勉強そのものが楽しくなるはずだ。決して苦労とは思わないはずだ。勉強といってもいろいろある。書物を読む、人の話を聞いたり議論をする、旅をする、音楽を聞く、何かしら創ってみる、書いてみるなど、いろいろある。それが全て勉強である。その目指すべき目標とは「人間の道」を知るためである。

里仁(りじん)第四-七

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子曰、人之過也、各於其黨、觀過斯知仁矣、

子(し)曰(のたま)わく、人の過ちや、各々(おのおの)其(そ)の党に於(おい)てす。過ちを観て斯(ここ)に仁を知る。

先生がいわれた、「人の過ちというものは、それぞれの人物の種類に応じて犯す。過ちの内容を観れば仁かどうかが分かる」
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■「失敗」や「過失」にこそ、その人の裸の人間性が表われるものと心得よ!

 過ちを犯さない人間は皆無であろう。皆何かしらの失敗の中で生きている。小人は小人なりの過失、また君子でも、君子なりの過失があるはずだ。つまり本人は意識していないにも関わらず、他人から見たら過失であるようなことも多い。また「今」みたら過失だと思っていても、「後」になってみたらそれが「益」となっていた、ということもあろう。またその過失の特性をみても、事の大小だけではなく、その人物の個性に応じてさまざまな種類の過失がある。たとえば、酒好きは酒の場において数々の失敗談がある。女好きといわれる人間は女性関係で失敗することも多い。ギャンブル上の失敗もあるだろうし、言葉足らずの性格には失言で相手を怒らせ喧嘩になったこともあろう。人は、その性格や人間性に応じた過ちをたくさん犯しながら暮らしているのだ。
 しかし、同じ過失や過ち、失敗だとしても、その根底に「仁」則ち「愛」や人を大事に思う気持ちがあって犯したものか、他人に悪意をもって犯したものかを見極める必要があろう。人に善かれと思ってしたことが、かえって人に迷惑をかける場合もある。まあそれはそれで、人間としての未熟さ故の過ちだろうが、そのターゲットとなった被害者にとっては大迷惑なのだ。この項でも言っているように「過ちの内容を観れば…」ということは「検証」する「反省」する、というなのだ。人は他人の過ちを本人より強く意識するものだ。だからこそ、その過ちで自分の人間性を見抜かれることを肝に命じておかねばなるまい。人は、その失敗からも、その人間性を問われる、ということだ。

里仁(りじん)第四-六

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子曰、我未見好仁者惡不仁者、好仁者無以尚之、惡不仁者其爲仁矣、不使不仁者加乎其身、有能一日用其力於仁矣乎、我未見力不足者、蓋有之乎、我未之見也

子(し)曰(のたま)わく、我(われ)未だ仁を好む者、不仁(ふじん)を悪(にく)む者を見ず。仁を好む者は以て之に尚(くわ)うる無し。不仁を悪む者は、其(そ)れ仁を為す。不仁者をして其の身に加えしめず。能(よ)く一日(いちじつ)も其の力(ちから)を仁に用いること有らんか、我未だ力の足らざる者を見ず。蓋(けだ)し之(これ)有らん、我は未だ之を見ざるなり。

先生がいわれた、「私は、未だ仁を好む人も不仁を憎む人も見たことがない。仁を好む人はもうそれ以上のことはないし、不仁を憎む人もやはり仁を行っている、不仁の人を我が身に影響させないからだ。もしよく一日の間でも、その力を仁のために尽す者があったとしてごらん、力の足りない者など、私は見たことがない、あるいは[そうした人も]いるかも知れないが・・・・、私は未だ見たことがないのだ」
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■コラムは後日記載する

里仁(りじん)第四-五

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子曰、富與貴、是人之所欲也、不以其道得之、不處也、貧與賎、是人之所惡也、不以其道得之、不去也、君子去仁、惡乎成名、君子無終食之間違仁、造次必於是、巓沛必於是、

子(し)曰(のたま)わく、富(とみ)と貴(たっとき)とは、是(こ)れ人の欲する所なり。其の道を以て之を得ざれば、処(お)らざるなり。貧(まずしき)と賤(いやしき)とは、是れ人の悪(にく)む所なり。其の道を以て之を得ざれば、去らざるなり。君子は仁を去りて悪(いず)くにか名を成さん。君子は食を終るの間(あいだ)も、仁に違(たが)うこと無く、造次(ぞうじ)にも必ず是(ここ)に於(おい)てし、顛沛(てんぱい)にも必ず是に於てす。

先生がいわれた、「富と貴い身分とはこれは誰でも欲しがるものだ。しかしそれ相当の方法[正しい勤勉や高潔な人格]で得たものでなければ、そこに安住しない。貧乏と賎しい身分とはこれは誰でも嫌がるものだ。しかしそれ相当の方法[怠惰や下劣な人格]で得たのでなければ、それも避けない。君子は人徳をよそにしてどこに名誉を全うできよう。君子は食事をとるあいだも仁から離れることがなく、急変のときもきっとそこに居り、ひっくり返ったときでもきっとそこに居る」
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■成果は誰でも欲しがるが、それ相応の手段で手に入れなければ価値がない。

 現代は、何事も「インスタントの時代」だ。昨今の人間は、人生の成功さえも、ある日、突然、天から降ってきて欲しい、と願うようだ。宝くじに当たった人間たちのその後の人生が、あまり芳しい噂を聞かないのは、まさしく、大金を手にするにはまだ相応しくない人間が、それを突然掴んでしまったせいであろう。
 人には、その目指すものが大きければ大きいほど、準備に要する時間も大きくなるものだ。目標が大きければ大きいほど、障害も大きくなり、それを達成するための時間も長くなるはずだ。例えば、とてつもない程のビジョンを掲げるのであれば、それなりのスケジュールを組まねばならない。下手をすると一生かかるものもあると思う。もっと巨大な事業には、2世代、3世代かかるものもあろう。えてして人は、目標は大きく持ちたがるくせに、それを実現するまでの過程は、小さいほど良いと考えている。だから「玉の輿」や「逆玉」などの薄っぺらな人生成功ドラマが持て囃されている所以だ。
 しかし、簡単に達成できる夢は、それなりの感動しか得ることができない。艱難辛苦を経て実現した夢は、たとえそれが他人から見たら小さな夢だとしても、本人にとっては価値あるものなのだ。だからこそ、社会で事を成すためには、それも大きな事を成すために必要だとされている素養は「辛抱」だ。「我慢強さ」なくして、社会においては何事も成し得ない。新卒入社一二年で転職を繰り返す若者たちを見ていると、おそらく、彼らの夢は、ほんとうに小さいのだろうと可哀想になっていく。

里仁(りじん)第四-四

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子曰、苟志於仁矣、無惡也、

子(し)曰(のたま)わく、苟(いやしく)も仁に志(こころざ)せば、悪(あ)しきこと無きなり。

先生がいわれた、「本当に仁を目指しているのなら、悪いことは無くなるものだ」
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■「我」を無くせ。「仁」を尊ぶ哲学こそが、自分から悪事を遠ざける。

 本当に仁者になることを志しているのであれば、悪いことはしなくなるし、また自分に悪いこともふりかからなくなるものだ。これは処世の哲学として、誠に真理だと思う。反対に、悪いことをしてみたり、悪いことがふりかかったりするのは、ひとえに私利私欲や利己主義でことを為した場合に多い。何ごとも、不幸な事態を招くのは、あまねく人を愛する精神である「仁」ではなく、自分だけを愛したときなのだ。周りを見れば一目瞭然だろう。あなたの職場においても、トラブルメーカーは、いつも「我」が強い人間だろう。おそらく例外はないはずだ。我を通せば、他者は引く。
 私は常々思っていることがある。信じる信じないに関わらず、日本であまねく習俗化している神社信仰の多くが、このことを表わしているのではないかと考えている。これら神社の多くは、ご神体として「鏡」が祭られている。何故なのか。これは何を意味するのか。私なりの解釈としては、「自分の中にこそ神がいる」ということを表わしているのではないか。鏡(かがみ)は、自分自身を映しだす。しかしその中に見える「我(が)」をどう処するかに、人の幸不幸があると考えるのだ。人は「鏡(かがみ)」の中に映し出されたものから「我(が)」を取り除けば、それは即「神(かみ)」となるのである。

里仁(りじん)第四-三

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子曰、惟仁者能好人、能惡人

子(し)曰(のたま)わく、惟(た)だ仁者のみ能(よ)く人を好み、能く人を悪(にく)む。

先生がいわれた、「ただ仁の人だけが、[私心がないから、本当に]人を愛することもでき、人を憎むこともできる」
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■仁者は、人を愛すも憎むも真剣勝負。それは深い人間愛があればこそなのだ。

 真に仁ある人のみが、本当に人を愛することもでき、人を憎むこともできる。仁者に私心はない。人間すべてを愛する心をもってすれば、自分の利害によって、正邪の判断を見誤ることはないのだ。良いことを良いとし、悪いことを悪いとする。
 ふつう人は、自分の行いや考え方が曲がっていれば、善悪の見境もつかなくなるものだ。いつも中途半端な価値判断で、複雑な人生を歩まなければならない。そこに人生の苦楽が生まれてくる。孔子が言うように、人間愛に基づいた仁の哲学を心に秘めていれば、その見識も自ずと正されよう。真に人を愛することができず、また悪に対しても弱腰な態度で生活することが、ほとんどの現代人にとっては、胸が痛くなるような指摘だ。
 ビジネスにおいて、仁者たることは、難しい場面も多いことだろう。「清濁併せ飲め」などと言われることもあろう。こういう場合は、短期的な見方をするのではなく、長期的な視点で判断をすべきだ。正しいことは正しいと、正々堂々のビジネスをしていれば、結局は長期的な利益をえることができる。目先の利益を追ったがために、結局は後日に大損害を被る話は枚挙にいとまがない。これすべて、経営者など最高責任者が仁者ではないことからくる人災だ。

里仁(りじん)第四-二

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子曰、不仁者不可以久處約、不可以長處樂、仁者安仁、知者利仁、

子(し)曰(のたま)わく、不仁者(ふじんしゃ)は以て久しく約(やく)に処(お)るべからず。以て長(なが)く楽(らく)に処るべからず。仁者(じんしゃ)は仁に安(やす)んじ、知者(ちしゃ)は仁を利す。

先生がいわれた、「仁でない人はいつまでも苦しい生活にはおれないし、また長く安楽な生活にもおれない。[悪いことをするか、安楽になれてしまう。]仁の人は仁に落ち着いているし、智の人は仁を利用する。[深浅の差はあるが、どちらも守りどころがあって動かない。]」
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■コラムは後日記載する

里仁(りじん)第四-一

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子曰、里仁爲美、擇不處仁、焉得知、

子(し)曰(のたま)わく、仁に里(お)るを美(よ)しと為す。択(えら)びて仁に処(お)らずんば、焉(いずく)んぞ知(ち)なるを得ん。

先生がいわれた、「仁に居るのが立派なことだ。あれこれ選びながら仁をはずれるのでは、どうして智者といえようか」
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■智者になりたければ、人はどこにいても「仁」と共に生きよ。

 短い章なのでいろいろな学説がある。「里(さと)は仁なるを美(よ)しとす」と読んで「 村は仁であるところが良い」とする説もあるが、ここでは、江戸時代中期の儒学者・荻生徂徠の説による。「人は、仁、つまり人間らしさの中に、根を下ろしたように自然に住みつかねばならぬ。仁を選んでそこに転宅しようとしない人を、智者とは言えないのではないか。」 
 結局、孔子が言わんとするところは「どんなに苦労をするような所に住んでいようと、仁の精神を自分の心の拠り所として暮らしなさい」ということではないだろうか。
 人には、様々な生活環境や巡り合わせというものがある。人脈や資産に恵まれた人もいれば、苦労だけをするために生まれついたような境遇の人もいる。しかし人の幸不幸は、究極のところ自分自身の考え方ひとつではないか。貧乏だと人から笑われようが、好きで節約暮らしをしている人もいる。お金持ちだが浪費を繰り返して不幸な人生を歩んでいる人もいる。本来人は、自分の価値観がどうゆうもので、自分自身がどう感じているかが幸福のバロメーターである。自分の考えに自信をもって生きていれば、人はどのような境遇におかれていても、幸福だと感じるものだ。どんな艱難辛苦の中にあっても、それは自分への試練であり、それを乗り越えることで自分の成長があると思える人は、毎日を楽しみながらその苦労ができる。
 孔子は、その人生の指針となるべき価値観を「仁」とせよ、と説いている。仁とは、人間愛であり、他者への思いやりである。

八佾(はちいつ)第三-二十六

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子曰、居上不寛、爲禮不敬、臨喪不哀、吾何以觀之哉、

子(し)曰(のたま)わく、上(かみ)に居(お)りて寛(かん)ならず、礼を為して敬(けい)せず、喪(も)に臨みて哀(かな)しまずんば、吾(われ)何を以てか之(これ)を観(み)んや。

先生がいわれた、「人の上に立ちながら寛容でなく、礼を行いながらつつしみがなく、葬(とむらい)に行ながら哀しまないというのでは、どこを見どころにしたものか、私には分からない」
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■コラムは後日記載する

八佾(はちいつ)第三-二十五

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子謂韶、盡美矣、叉盡善也、謂武、盡美矣、未盡善也、

子、韶(しょう)を謂(のたま)わく、美(び)を尽せり、又(また)善を尽せり。武(ぶ)を謂わく、美を尽せり、未だ善を尽さざるなり。

先生が韶の音楽を批評された、「美しさは十分だし、さらに善さも十分だ。」[また]武の音楽を批評された、「美しさは十分だが、善さはまだ十分でない。」
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■コラムは後日記載する

八佾(はちいつ)第三-二十四

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儀封人請見、曰、君子之至於斯也、吾未嘗不得見也、從者見之、出曰、二三子何患者於喪乎、天下之無道也久矣、天將以夫子爲木鐸、

儀(ぎ)の封人(ほうじん)見(まみ)えんことを請(こ)う。曰く、君子の斬(ここ)に至るや、吾(われ)未だ嘗(かつ)て見えること得ずんばあらざるなり。従者(じゅうしゃ)之を見えしむ。出(い)でて曰く、二三子(にさんし)、何ぞ喪(さまよ)うことを患(うれ)えんや。天下の道無きや久し。天(てん)将(まさ)に夫子(ふうし)を以て木鐸(ぼくたく)と為さんとす。

儀の国境役人が[先生に]お会いしたいと願った。「ここに来られた君子方はね、私はまだお目にかかれなかったことはないのですよ。」という。供のものが会わせてやると、退出してからこういった、「諸君、さまよっているからといってどうして心配することがありましょう。この世に道が行なわれなくなって、久しいことです。天の神様はやがてあの先生をこの世の指導者になされましょう。」
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八佾(はちいつ)第三-二十三

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子語魯大師樂曰、樂其可知已、始作翕如也、從之純如也、徼如也、繹如也、以成、

子、魯(ろ)の大師(たいし)に楽(がく)を語りて曰わく、楽は其れ知るべきなり。始めて作(おこ)すに翕如(きゅうじょ)たり。之を従(はな)ちて純如(じゅんじょ)たり、皎如(きょうじょ)たり、繹如(えきじょ)たり。以て成る。

先生が音楽のことを魯の楽官長にはなされた、「音楽はまあ分かりやすいものです。起こしはじめは[金属の打楽器で]盛んです。それを放つと[諸楽器が]よく調和し、はっきりし、ずっと続いていって、そうして一節が終わります」
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八佾(はちいつ)第三-二十一

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哀公問社於宰我、宰我對曰、夏后氏以松、殷人以柏、周人以栗、曰、使民戰栗也、子聞之曰、成事不説、遂事不諌、既徃不咎、

哀公(あいこう)、社(しゃ)を宰我(さいが)に問う。宰我対(こた)えて曰く、夏后氏(かこうし)は松(まつ)を以てし、殷人(いんひと)は柏(はく)を以てし、周人(しゅうひと)は栗(くり)を以てす。曰く、民(たみ)を戦栗(せんりつ)せしむるなり。子(し)之を聞きて曰わく、成事(せいじ)は説(と)かず、遂事(すいじ)は諫(いさ)めず、既往(きおう)は咎(とが)めず。

哀公が[樹木を神体とする土地のやしろ]社のことを宰我におたずねになったので、宰我は「夏の君は松を使い、殷の人は柏(ひのき)を使い、周の人は栗を使っています。[周の栗は社で行う死刑によって]民衆を戦慄させるという意味でございます」と答えた。先生はそれを聞くといわれた、「できたことは言うまい、したことは諌(いさ)めまい。[これからはこんな失言をくりかえさぬように。]」
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八佾(はちいつ)第三-二十二

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子曰、管仲之器小哉、或曰、管仲儉乎、曰、管氏有三歸、官事不攝、焉得儉乎、曰然則管仲知禮乎、曰、邦君樹塞門、管氏亦樹塞門、邦君爲兩君之好、有反沾、管氏亦有反沾、管氏而知禮、孰不知禮、

子(し)曰(のたま)わく、管仲(かんちゅう)の器(き)は小(しょう)なるかな。或るひと曰く、管仲は倹(けん)なるか。曰わく、管氏(かんし)に三帰(さんき)あり、官(かん)の事(こと)は摂(か)ねず、焉(いずく)んぞ倹なるを得ん。然(しか)らば則(すなわ)ち管仲は礼を知るか。曰わく、邦君(ほうくん)樹(じゅ)して門(もん)を塞(ふさ)ぐ、管氏も亦(また)樹して門を塞ぐ、邦君(ぼうくん)両君(りょうくん)の好(よしみ)を為すに、反拈(はんてん)あり、菅氏も亦反拈あり。菅氏にして礼を知らば、孰(たれ)か礼を知らざらん。

先生がいわれた、「管仲の器は小さいね。」ある人が「管仲は倹約だったのですか。」というと、「管氏には三つの邸宅があり、家臣の事務もかけ持ちなしで[それぞれ専任をおいて]させていた。どうして倹約といえようか。」「それでは管仲は礼をわきまえていたのですか。」「国君は目隠しの塀を立てて門をふさぐが、管氏も[陪臣の身でありながら]やはり塀を立てて門の目隠しにした。国君が二人で修好するときには、盃をもどす台を設けるが、管氏にもやはり盃をもどす台があった。管氏でも礼をわきまえているなら、礼をわきまえないものなど誰もなかろう。」
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八佾(はちいつ)第三-二十

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子曰、關雎、樂而不淫、哀而不傷、

子(し)曰(のたま)わく、関雎(かんしょ)は楽しみて淫(いん)せず、哀(かな)しみて傷(やぶ)らず。

先生がいわれた、「關雎(かんしょ)の詩は、楽しげであってもふみはずさず、悲しげであっても[心身を]いためることがない。[哀楽ともによく調和を得ている]」
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八佾(はちいつ)第三-十九

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定公問、君使臣、臣事君、如之何、孔子對曰、君使臣以禮、臣事君以忠、

定公(ていこう)問う、君(きみ)、臣を使い、臣、君に事(つか)うること、之を如何(いか)にせん。孔子対(こた)えて曰わく、君、臣を使うに礼を以(もっ)てし、臣、君に事うるに忠を以てす。

定公が「主君が臣下を使い、臣下が主君に仕えるには、どのようにしたものだろう。」とお訊ねになったので、孔先生は答えられた、「主君が臣下を使うには礼によるべきですし、臣下が主君に仕えるには忠によるべきです。」
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■上下が共に、為すべきことをしなければ、支え合うことはできない。

 この項でも「礼」と「忠」が出てくる。孔子は、主君は臣下に対して「礼」によるべきだし、臣下は主君に対して「忠」によるべきだと言う。「礼」は再三出てきたのでお分かりと思うが、「忠」は「孝」と「恵」とともに、「徳」の基礎である「仁」の一部と解釈するのが分かりやすい。安岡正篤先生の解説によると、忠とは、中(ちゅう)する心であり、「中」は相対するものから次第に統一的なものに進歩向上してゆく働きを言い、忠とはそういう心である、とのことだ。つまり本当の忠は無限の統一・進歩であると言う。辞書によれば、真心を込めてよく務めを果たすこと、君主または国家に対して真心を尽くすこと、とある。正直で表裏が無いことも表わし、特に日本においては、忠義、忠誠と言うように、「孝」とともに武士道の大事な徳目とされていた。
 主君と臣下、現代的に言えば社長と社員、上司と部下とでも言おうか。今でもその関係性は、変わらないのではないだろうか。少なくとも、現代でもサラリーマンは、忠を持って仕事を果たすことを求められている。しかし、上から下への「礼」という視点はどうであろうか。古代中国では、王は臣下に対して、それなりの待遇をその都度していかなければ、臣下が国を出て行くことも罷り通っていたと言う。孔子もそうである。何度も仕官をしようとしていたが、礼の無い王を見限っては諸国を放浪し続けた。
 果たして「忠」が先か「礼」が先かは、あまり意味をなさない。この二つの関係性は同時に補完しあってこそ、それぞれの力量が発揮されるのではないだろうか。えてして現実は、社長は王様みたいな暮らしをしているのに、社員はいつも借金まみれ、と言うことも珍しくない。こんな関係では職場の士気が上がろうはずもない。有能な社員は、さっさと辞表を出して、自分を高く買ってくれる会社に行くはずだ。経営学の神様と言われたピーター・F・ドラッガーの言葉にもこうある。「どのような企業や団体であれ、トップと一般社員の給料の格差が二十倍以上ある組織は良くない」。昨今、アメリカの金融機関の社長たちの莫大な年俸や退職金を見ていると、そのような企業は決して永続しない、と確信を強くする。

八佾(はちいつ)第三-十八

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子曰、事君盡禮、人以爲諂也、

子(し)曰(のたま)わく、君(きみ)に事(つか)うるに礼を尽せば、人(ひと)以て諂(へつら)えりと為すなり。

先生がいわれた、「主君にお仕えして礼を尽くすと、人々はそれを諂いだという。」
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八佾(はちいつ)第三-十七

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子貢欲去告朔之餽羊、子曰、賜也、女愛其羊、我愛其禮、

子貢(しこう)、告朔(こくさく)の饋羊(きよう)を去らんと欲す。子(し)曰(のたま)わく、賜(し)や、女(なんじ)は其の羊(ひつじ)を愛(おし)む。我は其の礼を愛む。

子貢が[月ごとの朔(はじめ)を宗廟に報告する]告朔の礼[が魯の国で実際には行なわれず、羊だけが供えられているのをみて、そ]のいけにえの羊をやめようとした。先生はいわれた。「賜よ、お前はその羊を惜しがっているが、私にはその礼が惜しい。[羊だけでも続けていけばまた礼の復活するときもあろう]
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■守るべきものと無くすべきものを、しっかりと見極めよ。

 弟子の子貢が、儀礼のひとつとして行われている羊のいけにえを廃止しようと提案した。孔子は「お前は羊を惜しむようだが、私は儀礼が廃るのを惜しむ」と言った。
 古代中国は、何かにつけ儀式があった。そもそも孔子の哲学は「儀礼を尊び国を治める」というものだから、必然的にこのような判断になる。現代的に言えば「保守的」である。しかしこうも考えられるのではないか。当時の中国が、倫理も何もない下克上の戦国の世だからこそ、儀礼が廃るようなことは決してしなかったのではないだろうか。
 現代社会でも、今一度考えるべきことがある。それは何が何でも新しいもの、新しい制度に寄り掛かって、それが進歩だと思っていることにこそ、危険が潜んでいる、ということだ。その改革や進歩が、人間にとって真に有意義なことであれば問題はない。しかし、目先の目新しさと不見識な解釈だけで、古き良きものまで破壊してはいないだろうか。
 本当の“保守”とは、盲目的に変化を嫌う主義を言うのではない。保守が保守として継続するためには、良いものは残し、悪いものを廃するという哲学なのだ。“伝統”もまたしかり。伝統文化は、たえず見えない部分の革新を取り込み、発展している。つまりはその中にある真理のみを活かし続け、時代にそぐわなくなった部分を変化させて生きているのだ。これは永遠に成長と継続を目指すビジネスにとって、非常に大切な教訓である。新しさだけのビジネスは、必ず行き詰まる。

八佾(はちいつ)第三-十六

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子曰、射不主皮、爲力不同科、古之道也、

子(し)曰(のたま)わく、射(しゃ)は皮(かわ)を主(しゅ)とせず。力(ちから)、科(しな)を同(おな)じくせざるが為(ため)なり。古(いにしえ)の道(みち)なり。

先生がいわれた、「弓の礼では的を第一とはしない。[各人の]能力には等級の違いがあるからで、[そういうのが]古代のやり方である」
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八佾(はちいつ)第三-十五

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子入大廟、毎事問、或曰、孰謂鄹人之知禮乎、入大廟、毎事問、子聞之曰、是禮也、

子、太廟(たいびょう)に入(い)りて、事毎(ごと)に問う。或るひと曰く、孰(たれ)か鄹人(すうひと)の子(こ)を礼を知ると謂(い)うや、太廟に入りて事毎に問う。子(し)、之を聞きて曰わく、是(こ)れ礼なり。

先生は大廟の中で儀礼を一つ一つ尋ねられた。ある人が「鄹(すう)の役人の子供が礼を知っているなどと誰がいったんだろう、大廟の中で一つ一つ尋ねている。」といったが、先生はそれを聞くと「それ[そのように慎重にすること]が礼なのだ。」といわれた。
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■何ごとにも、初心に還ることを怖がらずに生きよ。

 孔子が大廟の中で儀礼の作法について、いちいち担当の役人に問い質していると、ある人が「孔子は何も知らないではないか」と言った。それを聞いて孔子は、そのように慎重にすることこそが礼なのだと言った。
 この項は、知ったかぶりをせず、相手を立ててこそ、礼にかなう行為であることを教えくれる。人は名が知られていればいるほど、さらりとやり過ごしたいものだが、孔子の考えは違う。慎重に事を為すことを重視する。ビジネスにおける様々な失策も、ひとえにこの精神を無くしたところに発生する。事故報告が上層部に伝わらない。工場の利益優先主義がもたらす商品の欠陥を隠したままそれを販売する。内容表示と違う素材を偽って製造する。などなど、現代社会では様々な“偽装”が蔓延している。そしてそれを誰も正そうとはしない。
 このような社会で、たとえビジネスがうまくいっていたとしても、その利を誇りを持って受け取れるものだろうか。もし最近の日本人が、泥棒行為で得た利益を「それでも良い」と思い始めたのなら、この国は滅び始めている。そこに明るい未来も、豊かな市場も存在しない。

八佾(はちいつ)第三-十四

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子曰、周監於二代、郁郁乎文哉、吾從周、

子(し)曰(のたま)わく、周は二代(にだい)に監(かんが)みて郁(いく)郁(いく)乎(こ)として文(ぶん)なる哉(かな)。吾(われ)は周に従わん。

先生がいわれた、「周[の文化]は、夏と殷との二代を参考にして、いかにもはなやかに立派だね。私は周に従おう」
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八佾(はちいつ)第三-十三

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王孫賈問曰、與其媚於奧、寧媚於竈、何謂、子曰、不然、獲罪於天、無所祷也、

王孫賈(おうそんか)問うて曰く其の奥(おう)に媚(こ)びんよりは、寧(むし)ろ竈(そう)に媚びよとは、何の謂(いい)ぞや。子(し)曰(のたま)わく、然(しか)らず。罪(つみ)を天に獲(う)れば、祷(いの)る所無きなり。

王孫賈(おうそんか)が「『部屋の神の機嫌とりより、かまどの神の機嫌をとれ。』と[いう諺]はどういうことでしょうか」と尋ねた。[衛(えい)の君主よりも、権臣である自分の機嫌をとれ、というなぞである。]先生はいわれた、「[その諺は]間違っています。[かまどの神や部屋の神よりも、最高の]天に対して罪をおかしたなら、どこにも祈りようはないものです」
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八佾(はちいつ)第三-十二

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祭如在、祭神如神在、子曰、吾不與祭、如不祭、

祭ること在(いま)すが如くし、神(かみ)を祭ること神(かみ)在(いま)すが如くす。子(し)曰(のたま)わく、吾(われ)祭に与(あずか)らざれば、祭らざるが如し。

ご先祖のお祭りにはご先祖が居られるようにし、神々のお祭りには神々が居られるようにする。先生はいわれた「私は[何かの事故で]お祭りにたずさわらないと、お祭りをしなかったような気がする」
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八佾(はちいつ)第三-十一

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或問蹄之説、子曰、不知也、知其説者之於天下也、其如示諸斯乎、指其掌、

或るひと帝(てい)の説(せつ)を問う。子(し)曰(のたま)わく、知らざるなり。其の説(せつ)を知る者の天下(てんか)に於(お)けるや、其れ諸(これ)を斯(ここ)に示(み)るが如きかと。其の掌(たなごころ)を指(ゆびさ)す。

或る人がテイの祭りの意義をたずねた。先生はいわれた「わからないね。その意義がわかっているほどの人なら、天下のことについても、そら、ここで観るようなものだろうね。」と自分の手のひらを指された。
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八佾(はちいつ)第三-十

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子曰、蹄自既灌而往者、吾不欲觀之矣、

子(し)曰(のたま)わく、帝(てい)、既(すで)に灌(かん)してより往(のち)は、吾(われ)之を観ることを欲せず。

先生がいわれた、「テイの祭りで[鬱鬯(うつちょう=きびの酒を地にそそぐ)]灌の儀式が済んでからあとは、私は見たいと思わない」
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八佾(はちいつ)第三-九

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子曰、夏禮吾能言之、杞不足徴也、殷禮吾能言之、宋不足徴也、文献不足故也、足則吾能徴之矣、

子(し)曰(のたま)わく、夏(か)の礼は吾(われ)能(よ)く之を言えども、杞(き)は徴(しるし)とするに足らざるなり。殷(いん)の礼は吾(われ)能く之を言えども、宋(そう)は徴(しるし)とするに足らざるなり。文献(ぶんけん)足らざるが故(ゆえ)なり。足(た)らば則(すなわ)ち吾能く之を徴とせん。

先生がいわれた、「夏の礼についてわたしは話すことができるが、[その子孫である]杞(き)の国では証拠が足りない。殷の礼についても私は話すことができるが、[その子孫である]宋の国でも証拠が足りない。古い記録も賢人も十分ではないからである。もし十分なら私もそれを証拠にできるのだが」
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八佾(はちいつ)第三-八

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子夏問曰、巧笑倩兮、美目盻兮、素以爲絢兮、何謂也、子曰、繪事後乎、子曰、起予者商也、始可與言詩已矣、

子夏(しか)問うて曰く、巧笑(こうしょう)倩(せん)たり、美目(びもく)ハン(はん)たり、素(そ)以(もっ)て絢(あや)を為すとは何の謂(いい)ぞや。子(し)曰(のたま)わく、絵(え)の事は素(しろ)きを後(あと)にす。曰く、礼は後か。子(し)曰(のたま)わく、予(われ)を起(おこ)す者は商(しょう)なり。始めて与(とも)に詩(し)を言うべきのみ。

子夏が「『笑(え)まい可愛いや口元えくぼ、目元美しぱっちりと、白さで美しさを仕上げたよ』というのは、どういう意味でしょうか。」とおたずねした。先生は「絵の場合には白い胡粉で後仕上げをする[ようなものだ]。」といわれると、「[まごころがもとで]礼はあとしあげでしょうか。」といった。先生はいわれた、「自分を啓発してくれるのは商だよ。それでこそ君と詩を語ることができるね」
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八佾(はちいつ)第三-七

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子曰、君子無所爭、必也射乎、揖譲而升下、而飮、其爭也君子、

子(し)曰(のたま)わく、君子は争う所無し。必ずや射(しゃ)か。揖譲(ゆうじょう)して升(のぼ)り下(くだ)り、而(しこう)して飲ましむ。其の争(あらそい)や君子なり。

先生がいわれた、「君子は何事にも争わない。あるとすれば弓争いだろう。[それにしても]会釈し譲り合って登り降りし、さて[競技が終わると勝者が敗者に]酒を飲ませる。その争いは君子的だ」
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■争いごとを好んではならない。もっと大きな心でそれを包み込め。

 君子たる者は争わない。世俗でも「金持ち喧嘩せず」などと言う。たとえ競争をするにしても、それが終われば、粋なはからいをする。日本の武道とて、本来はこのようなものだった。戦争の技術としての戦闘術が、いずれ平和の時が長くなればなるほどに、自分自身を鍛える手段・武道となった。精神的な修養をともなって一段と高みに昇華されたのだ。そもそも“武”とは、戈(ほこ)を止むと書く。武とは争いではなく争いを無くすためのものと解釈すべきだ。
 日本の武士道は、徳川幕府の時代を見るまでもなく、もっと以前より儒教との結びつきが強かった。侍は『論語』を第一の教養とし、空で暗唱できるほど読み込んだ。武士だけではない。寺子屋で庶民の子弟たちも『論語』を学んだ。武士道の精神形成は、儒教によるところが大きいと言うが、広く考えれば、明治以前の日本人の精神的バックボーンを作ったと言える。だから昔の日本人は“恥”を知っていた。めったに争わなかった。敗者にもそれ相応の敬意を示したものだ。
 今の日本人には、このような人としての気品が無い。すべて即物的に物事を解釈する。だから社会が乱れるのではないだろうか。簡単に武力でことを決着しようとする風潮すら感じさせる。そもそも戦争行為に“正義”は無い。たとえ片方が正義を唱えても、必ず相手方にも言い分というものがあるものだ。イスラム教とキリスト教の対立も、二千年以上続いているではないか。そのどちらにも“正義”はあるものだ。君子はそれを知るからこそ、争いを避けるのだ。サムライ気取りでビジネスに取組んでいる者ほど、再度この精神に立ち返るべきだ。よくよく考えて見るとよい。勝ち負けだけでやっているどの市場にも、決して未来はない。

八佾(はちいつ)第三-六

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季氏旅於泰山、子謂冉有曰、女不能救與、對曰、不能、子曰、嗚呼、曾謂泰山不如林放乎、

季氏(きし)泰山(たいざん)に旅(りょ)す。子、冉有(ぜんゆう)に謂(い)いて曰わく、女(なんじ)救うこと能(あた)わざるか。対(こた)えて曰く、能わず。子(し)曰(のたま)わく、鳴呼(ああ)、曽(すなわ)ち泰山を林放(りんほう)にも如(し)かずと謂(おも)えるか。

季氏が泰山で旅(りょ)の祭りをしようとした。先生が冉有に向かって「お前にはやめさせることができないのか。」といわれると、「できません」と答えたので、先生はいわれた「ああ、泰山が林放にも及ばないと思っているのか」
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八佾(はちいつ)第三-五

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子曰、夷狄之有君、不如諸夏之亡也、

子(し)曰(のたま)わく、夷狄(いてき)の君(きみ)有るは、諸夏(しょか)の亡(な)きが如くならざるなり。

先生がいわれた、「夷狄で君主のあるのは、中国で君主のいないのにも及ばない[中国の文化の伝統はやはり優れている]」
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八佾(はちいつ)第三-四

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林放問禮之本、子曰、大哉問、禮與其奢也寧儉、喪與其易也寧戚、

林放(りんぽう)礼の本(もと)を問う。子(し)曰(のたま)わく、大なるかな問うこと。礼は其の奢(おご)らんよりは寧(むし)ろ倹(けん)せよ。喪(そう)はその易(そなわ)らんよりは寧(むし)ろ戚(いた)めよ。

林放が礼の根本についておたずねした。先生はいわれた、「大きいね、その質問は。礼には贅沢であるよりはむしろ質素にし、お弔いには万事整えるよりはむしろ[整わずとも]いたみ悲しむことだ」
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八佾(はちいつ)第三-三

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子曰、人而不仁、如禮何、人而不仁、如樂何、

子(し)曰(のたま)わく、人にして仁ならずんば、礼を如何(いか)にせん。人にして仁ならずんば、楽(がく)を如何にせん。

先生がいわれた「人として仁でなければ、礼があってもどうしようぞ。人として仁でなければ楽があってもどうしようぞ」
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■人として一番大切なものに、「仁」があることを知れ。

 儒学において「仁」とは、重要な「五徳」のひとつとして重視された「人を思いやる心」。いわば「愛」という概念に近いだろう。『論語』全体を通してこの仁の貴さが説かれている。「楽」とは音楽のこと。礼儀と並んで、人間の礼法にかなった身のこなしや品性をととのえるものとして考えられていた。孔子は、礼や楽があっても、仁がなければ人としてダメだ、と教えている。孔子が最も重視した徳のひとつなのだ。
 礼儀について言えば、いくら有名な礼儀作法の小笠原流を修めていても、たとえ茶道の作法を知っていたとしても、結局は人としての愛情や他者を尊重する心が根底になければ、そのスキルはすべて偽物である。マニュアル至上主義の社会である現代こそ、特にこの点を強く意識しなければならないだろう。
 現代人は、情報過多でいろいろな知識を持っている。また学歴も高い。しかし、いっこうに「人としての過ち」から脱することができないのは、どういうことなのか。思うに、二千数百年前の人間よりも、現代人のほうが、人としての生き方に尊敬できかねる人物が多いのではないかと感じる。犯罪事件ひとつとっても、昔はやむにやまれぬ切迫した感情で罪を犯したのだろうが、今は何の脈絡もなく私利私欲のためにそれを犯す人間が多い。
 ビジネスパーソンである前に、ひとりの人間としての哲学がしっかりと身についていなければ、何ごとも成功しない。このことは『論語』が終始一貫して語っている通りである。だからこそ、この書は二千数百年間読み伝えられたのだ。『論語』を学んで人生やビジネスに活かそう思う者は、まずこの「仁」を体得しなければならない。

八佾(はちいつ)第三-二

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三家者以雍徹、子曰、相維辟公、天子穆穆、奚取於三家之堂、

三家者(さんかしゃ)、雍(よう)を以て徹(てっ)す。子(し)曰(のたま)わく、相(たす)くるは維(こ)れ辟公(へきこう)、天子(てんし)穆穆(ほくほく)たりと。奚(なん)ぞ三家(さんか)の堂(どう)に取らん。

三家では[廟(おたまや)の祭りに]雍(よう)の歌で供物をさげていた。先生はいわれた、「[その歌の文句には]『助くるものは諸侯達、天子はうるわしく。』とある。どうして三家の堂に用いられようか。」
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八佾(はちいつ)第三-一

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孔子謂季氏、八佾舞於庭、是可忍也、孰不可忍也、

孔子、季氏(きし)を謂(い)う、八佾(はちいつ)庭(にわ)に舞わしむ。是をも忍ぶ可(べ)くんば、孰(いず)れをか忍ぶべからざらんや。

孔子が季氏のことをこういわれた、「八列の舞をその廟(おたまや)の庭で舞わせている。その非礼までも[とがめずに]しんぼうできるなら、どんなことでも辛抱できよう[私には辛抱できない]」
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為政(いせい)第二-二十四

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子曰、非其鬼而祭之、諂也、見義不爲、無勇也、

子(し)曰(のたま)わく、其の鬼(き)に非(あら)ずして之を祭るは諂(へつら)いなり。義を見て為さざるは勇無きなり。

先生がいわれた、「わが家の精霊でもないのに祭るのは、へつらいである。[本来、祭るべきものではないのだから。]行うべきことを前にしながら行わないのは憶病ものである。[ためらって決心がつかないのだから]」
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■正義を実行しようとしない者に、真の成功はない。

 本来、祭るべきでないものを祭るのは鬼神へのへつらいだ、と孔子は言う。鬼神とは、荒々しく恐ろしい神、天地万物の霊魂、超人的な能力をもつ存在の総称と解釈すればよい。へつらいとは、おべっかやご機嫌取りのこと。また正しい人の道と知りながら、これをしないのは勇気のない人間である、とも言っている。現代ではこの「義を見て為さざるは勇無きなり」のフレーズだけが有名となって、人々の口に上っているようだ。
 「へつらい」や「勇無き」は、まったくダメ人間のことを言っているようだが、果たしてそうだろうか。現代では普通の人の日常茶飯事ではないのか。企業のような上下関係が厳しい世界においては、逆に必要不可欠なことという認識さえあるのではないだろうか。私たちが日々為していることは「へつらい」や「おべっか」「見て見ぬふり」で、本当にうまくいくのだろうか。これは長い目で見ると逆効果だと断言できる。人として為さなければならないことや正義を脇において、いったいどんな有意義な事業を成し遂げることができよう。自分の保身を考える前に、為すべきことは為す。そんな気概こそが成功を引き寄せる原動力だ。
 ビジネスでの長期的な成功を志す者としては、間違っているとは知りつつ、否定しない、直さない、こんなことで成功はおぼつかない。そもそも現代の日本は、この一点に重きを置かないが故に、日々マスコミを賑わす“偽装”社会を作ってきたのではないだろうか。「まあまあ」や「なあなあ」の精神が、日本という国家を腐敗させているのは事実だ。政治家、官僚、教師、企業家などなど、上から下まで、すべての階層が腐っている。孔子は「商売と言えども道がある」と教えている。道徳心の無い社会は、いずれ崩壊する。世界の歴史を学べば、おのずと分かるはずだ。

為政(いせい)第二-二十三

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子張問、十世可知也、子曰、殷因於夏禮、所損益可知也、周因於殷禮、所損益可知也、其或繼周者、雖百世亦可知也、

子張(しちょう)問う、「十世(じゅっせい)知るべきや。子(し)曰(のたま)わく、殷(いん)は夏(か)の礼に因(よ)る、損益(そんえき)する所知るべきなり。周(しゅう)は殷の礼に因る、損益(そんえき)する所知るべきなり。其れ或(ある)いは周を継ぐ者は、百世(ひゃくせい)と雖(いえど)も知るべきなり。

子張が「十代さきの王朝のことが分かりましょうか」とおたずねした。先生はいわれた、「殷では[その前の王朝]夏の諸制度を受け継いでいて、廃止したり加えたりしたあとがよく分かる。周でも殷の諸制度を受け継いでいて、廃止したり加えたりしたあとがよく分かる。[だから]もし周のあとを継ぐものがあれば、たとえ百代さきまででも分かるわけだ。」
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■ 過去をどう省みるかで未来が分かる。常に先を読む訓練をせよ。

 子張は、孔子より四十八歳も若い弟子である。「十代先のことまで分かるのだろうか」と言う弟子の問いに、孔子は夏・殷・周三代の王朝を例に天下推移の見方を説いた。しかし正当な系譜の政権の変遷なら連続性はありるうが、現代的な革命手法で見ると、それは当たらないのかも知れない。しかし、この項で学ばなければならないのは、過去をしっかりと調べておれば未来も推察できる、と言うことだろう。なぜ、私たちは歴史を学問するのであろうか。それは将来を見通すための材料にせんがためである。過去は過去ではなく、過去は未来の一部であり、未来の始発点なのだ。
 未来を予測することが必須要件だとされるビジネスにおいても、この点は同じことだと言えよう。なんの過去の実績も考慮せず、ビジネスプランを立案することは、暗闇の中を走ることと同じだ。やはり過去の営業実績、経過、評価、変化を見極めてから行動を起こさなければ、どんな事業も失敗は確実だ。ビジネスはギャンブルではない。必ず成功させなければならない科学なのだ。膨大なデータで、逆に判断を惑わされる場合もあろうが、そこはしっかりとしたコンセプトと冷静な思考があれば、未来の成功は、より確実なものとなる。

為政(いせい)第二-二十二

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子曰、人而無信、不知其可也、大車無輗、小車無軏、其何以行之哉、

子(し)曰(のたま)わく、人(ひと)にして信無くんば、其の可なるを知らざるなり。大車(だいしゃ)輗(げい)無く、小車(しょうしゃ)軏(げつ)無くんば、其れ何を以て之を行(や)らんや。

先生がいわれた、「人として信義がなければ、うまくやっていけるはずがない。牛車に轅(ながえ)のはしの横木がなく、四頭だての馬車に轅のはしの軛(くびき)止めがないのでは[牛馬を繋ぐこともできない]一体どうやって動かせようか。」
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■ 信無くば成功なし。信を蓄えることをもって自らの成長とせよ。

 輗も軏も、牛馬と車両を繋ぐ重要な器具である。これがなければいくら名馬とは言え何の役にも立たないということだ。それほど、人間にとって重要なものが「信」である、と孔子は説く。この「信」の重要性は、『論語』の中に十数カ所出てくることでも言えよう。
 儒教でいうところの「徳」、中でも「五徳」といわれる「仁・義・礼・智・信」は、教えの中でも最重要の概念である。またその中でも信は、他人との関わりの中でこそ活かされる哲学と言えよう。人は、人から信じられてこそ、その才を活かすことができる。人は、人を信じることから、その愛を発揚することができるのだ。
 競争を大前提とするビジネス社会においても、この信は、各人が最も大事にすべき人間関係のエッセンスと言える。いにしえの昔から「商売は商品を売るのではない。信用を売れ」と言われてきた。顧客を信じよ。マーケットを信じよ。顧客から信用されよ。部下や上司から、同僚からも信用されるビジネスパーソンこそが、成功を手にするのだ。この一点は、商売の先達たちの数々の格言にも必須の言葉と言えよう。
 また人が人を用いるに際しても、「使用」から「任用」そして最後に「信用」と行き着く。これが最も貴い人物の活用方法だと言う。「信を得る」ということは、人として最も名誉なことなのである。「信無くば立たず」それくらいの意気込みで、毎日を働きたいものだ。信義、信仰、信心、信任、信奉、信念、信望、信認、信頼…。これら信にまつわるすべての言葉をもって、日々、自らの行動を照らしたいものだ。

為政(いせい)第二-二十一

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或謂孔子曰、子奚不爲政、子曰、書言、孝于惟孝、友于兄弟、施於有政、是亦爲政也、奚其爲爲政、

或るひと孔子に謂(い)いて曰く、子(し)奚(なん)ぞ政(まつりごと)を為さざる。子(し)曰(のたま)わく、書(しょ)に言う、孝(こう)なるかな惟(こ)れ孝(こう)、兄弟(けいてい)に友(ゆう)に、有政(ゆうせい)に施すと。是れ亦(また)政を為すなり、奚(なん)ぞ其れ政を為すことを為さん。

或る人が孔子に向かって「先生はどうして政治をなさらないのですか。」といった。先生はいわれた、「書経には『孝行よ、ああ孝行よ。そして兄弟ともむつみあう。』とある。政治ということにおよぼすなら、それもやはり政治をしているのだ。何もわざわざ政治をすることもなかろう」
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■コラムは後日記載する

為政(いせい)第二-二十

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季康子問、使民敬忠以勸、如之何、子曰、臨之以莊則敬、孝慈則忠、擧善而教不能則勸、

季康子(きこうし)問う、民をして敬忠(けいちゅう)にして以て勧(すす)ましむるには、之を如何(いか)にせん。子(し)曰(のたま)わく、之に臨むに荘(そう)を以てすれば則ち敬す。孝慈(こうじ)なれば則ち忠あり。善を挙(あ)げて不能(ふのう)を教(おし)うれば則ち勧(すす)む。

季康子が「人民が敬虔(けいけん)忠実になって仕事に励むようにするには、どうしたものでしょう。」と尋ねたので、先生はいわれた、「荘重な態度で臨んでいけば[人民は]敬虔になります。親に孝行、下々に慈愛深くしていけば[人民は]忠実になります。善を引き立てて才能のない者を教えていけば[人民は]仕事に励むようになります。」
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■コラムは後日記載する

2008年7月5日土曜日

為政(いせい)第二-十九

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哀公問曰、何爲則民服、孔子對曰、擧直錯諸枉、則民服、擧枉錯諸直、則民不服、

哀公(あいこう)問うて曰く、何を為(な)さば則(すなわ)ち民(たみ)服せん。孔子対(こた)えて曰わく、直(なお)きを挙(あ)げて諸(これ)を枉(まが)れるに錯(お)けば、則ち民服す。枉(まが)れるを挙げて諸を直きに錯けば、則ち民服せず。

哀公が「どうしたら人民が服従するだろうか。」とおたずねになったので、孔子は答えられた、「正しい人々をひきたてて邪悪な人々の上に位いづけたなら、人民は服従しますが、邪悪な人々をひきたてて正しい人々の上に位づけたなら、人民は服従いたしません。」
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■トップこそ、部下のお手本になるような正しい哲学を持て。

 魯国の君主・哀公の問いに孔子が答えた。「真っすぐな材木を曲がった材木の上に置けば、曲がった材木も真っすぐになるように、人民もお上に従うようになる」と。これは国家経営のたとえ話であり、人の上に立つ者がそれなりの人物でなければ、下の者が従わないのは自明の理である、ということだ。
 歴史をみるまでもなく、無能、凡才、悪者を、権力ある地位に付けてうまく行くはずもない。これは国家規模の問題ばかりではなく、企業の場合においても当てはまることだ。つまり才ある者を適材適所に配してそれを使うことなく、無能な血族や自分勝手な利己主義者などを責任ある地位につけると、たちまち会社は傾く。最近は、傾くどころの話ではない。ライブドア、雪印乳業、三菱自動車、不二家、赤福、船場吉兆…と、社名を並べるだけで、その末路がどのようなものなのかは、すでにお分かりのことだと思う。「コンプライアンス(法令遵守)」という言葉ばかりがマスコミに躍る毎日だが、これはそんな表面的な問題ではなく、もっと組織上の根っこの問題であろう。根本的な問題は、ひとえに経営哲学がしっかりしていない経営者たちが道を誤った、という問題ではなかろうか。つまり公共の福祉を無視した「利益至上主義」と「顧客への裏切り」を平気だと思う「腐った心」を持った社長がトップについていただけなのだ。腐ったリンゴが上にあれば、おのずと下も腐り始める。

為政(いせい)第二-十八

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子張學干祿、子曰、多聞闕疑、愼言其餘、則寡尤、多見闕殆、愼行其餘、則寡悔、言寡尤行寡悔、祿在其中矣、

子張(しちょう)、禄(ろく)を干(もと)めんことを学ぶ。子(し)曰(のたま)わく、多くを聞きて疑わしき闕(か)き、慎(つつし)みて其の余りを言えば、則(すなわ)ち尤(とがめ)寡(すく)なし。多くを見て殆(あやう)きを闕(か)き、慎みて其の余りを行なえば、則ち悔(く)い寡なし。言(ことば)に尤(とがめ)寡なく、行ないに悔(くい)寡なければ、禄(ろく)は其の中(うち)に在(あ)り。

子張が禄を取るためのことを学ぼうとした。先生はいわれた、「たくさん聞いて疑わしいところはやめ、それ以外の[自信の持てる]ことを慎重に口にしていけば、あやまちは少なくなる。たくさん見てあやふやなところはやめ、それ以外の[確実な]ことを慎重に実行していけば、後悔は少なくなる。ことばにあやまちが少なく、行動に後悔がなければ、禄はそこに自然に得られるものだ。[禄を得るために特別な勉強などというものはない。]」
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■多くを聞くこと、多くを見ること。そして信念を持って行動せよ。

 弟子の子張が役人になって給料をもらう方法を孔子に問うた。孔子曰く、その返答のまず最初の一言に私は感動した。「多くを聞きて」とある。実はこれこそ、孔子が「聖人」とも「人間の師」とも讃えられた人物たる所以であろう。やはり孔子は「対話」の天才であった。偉大な教師であったと感ずる。いわば師たる者、人を教導するための並外れたコミュニケーション能力が備わっていなければならない。この師あってこそ、東洋第一の書たる『論語』が出現したのだ。
 孔子の時代から2500年後の今、私たちに求められているものは一体何なのだろう。それは「まず聞く」ことからはじめるコミュニケーションではないのか。今流行のビジネススキルである「コーチング」も、そのエッセンスは、まず「聞く」ことから始める。もっと深く深く相手から「聴け」と言う。対人関係の逹人は、まず聴き上手だ。最初からペラペラ自分のことから話し始めるのは、愚の骨頂であり、少なくとも、人の上に立つべき人物のやるべきことではない。そしてまた、「多くを見て」自分が確信の持てることを慎重に実行せよ、と教える。曖昧を排除して、確実なことを実行すれば失敗も少ない、と言う。そうすれば、自然と金はついてくる、というのだ。
 まさに現代にも合致する教えではないか。まったく人間社会の真理と言えよう。厳しいビジネス社会においても、真に成果を出せるのは、言行一致を基とする「信用」であろう。言っても実行しない者の話を誰が信じよう。それよりも、しっかりと相手の話を聴き、そして慎重に実行する人物に過ちがあろうはずもない。もちろん、自分の行為に後悔も生まれないだろうし、何より、他人はその人を重用するはずだ。

為政(いせい)第二-十七

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子曰、由、誨女知之乎、知之爲知之、不知爲不知、是知也、

子(し)曰(のたま)わく、由(ゆう)、女(なんじ)に之を知るを誨(おし)えんか。之を知るを之を知ると為(な)し、知らざるを知らずと為す。是れ知るなり。

先生がいわれた、「由よ、お前に知るということを教えようか。知ったことは知ったこととし、知らないことは知らないこととする、それが知るということだ」
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■しったかぶりは、自分の成長を止める。

 由とは孔子の愛弟子で姓名を「仲由」、あざ名を「子路」と言う。論語中によく登場する人物だ。少々がさつだが正義感が強い好漢で、大変孔子が可愛がったという。孔子はその子路に、本当の知るとは熟知しているものを言って、生半可に知っていることを、知っているとは言わないほうが良い、と諭している。いわゆる「知ったかぶり」は恥ずかしいことだと諌めている。少なくとも君子たろうとする者はそのように考えなさい、ということなのだろう。
 現代人は、朝から晩までマスコミ情報(他者からの二次情報)の洪水の中に置かれ、日本の田舎町に住んでいても、地球の裏側のことまで知っている。しかし、それは果たして「知っている」と言えることなのだろうか。孔子が言うのは「知っている」ということ自体の精度を高めよ、ということではなかろうか。中途半端な「知」は、人の判断能力を曇らせる。中途半端な知識をひけらかすくらいなら、「知らない」と言える勇気と節度が欲しいものだ。また「知識」を「知恵」と言えるくらいにまでに昇華さたいものだ。
 そもそも「自分自身のことさえ知らない」というのが人生の本音であろう。まして日々刻々と変化する世界において、他人や他事について、ほんとに「知る」ことはできるのか。本当のところは「知らない」「理解していない」というのがほとんどであろう。例え「知っている」としても、その内容はほんの一部のことだけかもしれない。例えば、企業が顧客やマーケットを本当に熟知しているか。自分は家族の心のうちを知り尽くしているか。自分自身にたえず問えばよい。人間は、答えの無い答えを求めて、生きているのだ。しかし私は、「知っている、と思った瞬間から、その答えを求める道は閉ざされる」ということだけは永遠の真理だ、ということを知っている。

為政(いせい)第二-十六

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子曰、攻乎異端、斯害也已矣、

子(し)曰(のたま)わく、異端(いたん)を攻(おさ)むるは、斯(こ)れ害(がい)のみ。

先生がいわれた、「聖人の道と違ったことを研究するのは、ただ害があるだけだ」

《別の学説》
子(し)曰(のたま)わく、異端(いたん)を攻(おさ)むれば、ここに害(がい)やまん。

先生がいわれた、「自分と対立する学説を研究してこそ、過ちを免れることができる」
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■異質を嫌うのか、包容するのか。ここが人間の器量を左右する。

 この一節は、読み方を変えれば全く正反対の意味となる。学説もいろいろあるようだが、ようは両意とも真理だと思えば良い。どんな世界でも、陰陽があり、表裏があり、正道と異端がある。“正しい道”と違ったことをするのは、本当に害をもたらす。しかしまた、自分の考えがいつも“正しい”とは限らない。別世界の人に言わせれば、まったく正反対の解釈をする場合もある。特に国際的な仕事をする場合には要注意であろう。だからこそ、また“自分とは違う説”も学ばなければならない。
 世界は大きい。特に仏教的な思考をする日本人が、キリスト教的な思考をする外国人と全く価値観があうはずもななかろう。ましてやイスラム教的な思考には、ついていけないであろう。しかしそれら“異教徒たちの考え”が、全く自分とは関係のないものだろうか。間接の間接として、回り回って、最後には自分に接点を持つ場合もあるのだ。敵の敵は味方の場合もあるように。思考の三原則は「短期だけでは無く長期的な視点も持つ」「一面だけではなく多面・全面的に視る」「枝葉だけではなく幹そのものを視る」という。この学びも、中国の古典からくるものだ。ビジネスは「なんでもあり」の世界なのだ。もっと柔軟に思考すべきなのだ。

為政(いせい)第二-十四

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子曰、君子周而不比、小人比而不周、

子(し)曰(のたま)わく、君子は周(あまね)うして比(ひ)せず、小人(しょうじん)は比して周(あまね)うず。

先生がいわれた、「君子はひろく親しんで一部の人におもねることはないが、小人は一部でおもねりあってひろく親しまない。」
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■君子と小人の差は、紙一重。「人間関係力」の濃淡にあり。

 「小人」とは「君子」とは反対の意味で「つまらない人」。身分の低い者と徳の無い者との両意があるが、ここでは後者の意味だろう。君子はすべての者に対して愛を持ち、愛憎の私心は無い。これが普遍的な愛であり、他人に対して偏らないということである。徳の高い人物は、自分だけの小さな判断基準で人を避けたり恨んだりしないものだ。一方、小人は広く愛することができずに、自分に都合の良い者とだけ組んで生き、自分の利益に害のある者を憎む。
 私たちの周りにも、このような人間でいっぱいだ。派閥、学閥を作りだがる者、人の好き嫌いが激しい者、身内には厚く他人には冷たい者など。結局このような行為の裏には「自分だけを守りたい」あるいは「自分に自信がないから他人を怖がる」という心理がある。本当に強い人間は、どのような他人に対しても、突っ張ることなく、威張るともなく、いつも自然体で付き合えるはずだ。
 ビジネスにおけるお客様に対する心構えもこうあるべきであろう。客の好き嫌いを超越して、誰に対しても、笑顔で誠心誠意相対する人は、必ず良い成績を残す。上得意ばかりを大切にして、大多数の一般客を軽くみている者は、いつしか必ず足下をすくわれるはずだ。その上得意先が、永遠に自社のファンでいる確証は無いし、また本当に物が分かっている上客は、自分だけに特別いい顔をしている者たちの心理を快く思ってもいないはずだ。いずれ、その依怙贔屓の結果は突然やって来る。

為政(いせい)第二-十五

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子曰、學而不思則罔、思而不學則殆、

子(し)曰(のたま)わく、学びて思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)く、思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し。

先生がいわれた、「学んでも考えなければ[ものごとは]はっきりしない。考えても学ばなければ[独断に陥って]危険である。」
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■学んで、考えよ。独断専行の行動は自らを危うくする。

 論語は、活学である。書物で学ぶだけ、分かった気分になっただけでは意味がない。実行が伴わなければ時間の無駄である。それこそ「論語読みの論語知らず」である。孔子の人生も「徳」を世間に広め、世の中を改革することにこそ、その本義があった。中国の戦国動乱の時代に生きたからこそ、その意が強かったのだ。
 私たちの現代もまた、その意味では“戦国時代”である。国際社会で断続的に起こる戦争・紛争だけではなく、ビジネスの社会でも戦争のように様々な革新や破壊が行われている。またビジネス実行においても道徳心の無さから、社会に様々な遺恨を残している。孔子は「商いの中にも道がある」と言っている。企業の“利益至上主義”は、様々な弊害をもたらしている。公害問題、環境問題もしかりである。私たちは、はたして過去からしっかりと学んでビジネスを創造しているだろうか。はたまた、世のスピードにかまけて、学ぼうとせずに、後先を考えずに巨大な力を行使してはいないだろうか。
 私たちがまずしっかりと考えたり思ったりしなければならないのは、「何のために仕事をしているのか」なのだ。それは、社会への貢献であり、人々の幸せのためではないのか。もう一度初心に返って、そこを見直さなければならないと思う。「学んで思う」「思って学ぶ」「学ぶ」と「思う」の二つがあいまって、はじめて「活学」となり、「実業」となるのである。

為政(いせい)第二-十三

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子貢問君子、子曰、先行其言、而後從之、

子貢(しこう)君子を問う。子(し)曰(のたま)わく、先(ま)ず行う、其の言(ことば)は而(しか)る後(のち)に之に従(したが)う。

子貢が君子のことをおたずねした。先生はいわれた、「まずその言おうとすることを実行してから、あとでものをいうことだ。」
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■言葉は重いものである。行動なくして言を発するなかれ。

 子貢という弟子は、能弁家で優秀な人物だったが、行動が伴わないこともあった。それを孔子が諌めたという一節がこれ。「君子とは、まず行って、しかる後にこれを言葉にすることだ」と説いている。
 現代社会ほど、情報に溢れていながら、その言葉ひとつひとつに重みがない時代はないだろう。何十万人、何百万人に、一瞬にして一斉に情報を伝えることができるマスコミでさえ、“嘘”や“誤解”や“幼稚な論”がまかり通っている。ましてや情報発信に何の制約も無いインターネットの世界では、もっとタチの悪い人間たちが“無法世界”を作っている。現代社会では、情報洪水の中から、真に正しい情報を見つけ出すスキルが求められているほどなのだ。
 昔の人は、言葉を重視していた。特に東洋の社会では、言葉に霊が宿っていて、それを口にすること自体が憚れる、といった考えもあった。“言霊(ことだま)”という言葉があるほどであり、ましてや政治家などのリーダーたちは、自分の言葉に責任を持ったものだ。言を慎んでまずは実行せよ、というこの考え方は、まさに、現代社会のリーダーたちにこそ相応しい警告だろう。実行なきところに前進や成功はありえない。しかし現代社会は、情報さえ伝われば、それで事が終了した、という勘違いがある。問題は実体のある社会で、実体のある成果を出してこそ、はじめて言葉が言葉たり得るのだ。
 言葉ひとつで戦争も始まるし、言葉ひとつで死さえも覚悟しなければならなかった時代と現代はあまりにかけ離れすぎているが、であればなおさらのこと、この一点を忘れてはならない。言葉は、その人を表現する心の衣であり、その人の教養や考え方を明らかにするものだ。人間は、それにしっかりと責任を持たなければならない。無責任からは、何も生まれない。

為政(いせい)第二-十二

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子曰、君子不器、

子(し)曰(のたま)わく、君子は器(うつわ)ならず。

先生がいわれた「君子は器(うつわ)ものではない。[その働きは限定されなくて広く自由であるべきだ。]」
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■「器」ならざる人が真のリーダーである。

 あの人は器が大きい。器が小さい。などとよく言う。また「器ならざる」とも言う。孔子は「君子は器のようなものではなく器を使う人だ」と言っている。器とは道具であり、現代風に別の言い方をすればスキルであろう。本当の大人物は、こまごまとしたことを自分ではしない。その才のある人にやらせるということだ。
 『論語』を座右において、官を辞し明治日本の民間経済の基礎を造った渋沢栄一に言わせると、西郷隆盛は「器ならざる人」だったという。大変親切で同情心が深く、寡黙で、めったに談話をしなかった。見た目には、はたして偉い人なのか、鈍い人なのか分からないような風情で、愚賢を超越した将に将たる君子の趣きがあったと言う。木戸孝允は、西郷ほどではないにしろやはり器ではなかったと言う。勝海舟はどちらかと言うと達識はあったが「器」に近いところがあったとのこと。大久保利道は、得体の知れない人間で君子とはほど遠く渋沢が最も嫌った人だ。明治の英雄たちも、同じ明治人にかかると辛辣な批評対象となる。
 これは現代でも同じで、知識や才能はあるが、その腹の心がけ一つで、小人にもなるし大人、君子にもなれる。知識も、それが“見識”と呼ばれるように、またその実行にあたって“胆識”と感心されるような人物とならねばならない。ビジネスマンの最終目標は、「器が大きい」と言われるレベルではなく、「器ならず」と言われる人物だろう。

為政(いせい)第二-十一

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子曰、温故而知新、可以爲師矣、

子(し)曰(のたま)わく、故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る、以て師(し)と為(な)るべし。

先生がいわれた、「古いことに習熟して新しいこともわきまえれば、教師となれるであろう」
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■新しさを創造できる者は、古き良きものを最もよく知る者である。

 真に新しいものなど、この世の中にあるのだろうか。とは、まえがきにも書いたことだが、ビジネスの場面においても、この「温故知新」は最重要の教えとして肝に銘じておきたい。
 これは何も商品企画であるとか、マーケティングや広告宣伝の担当だけの話ではない。営業部門においても、その他管理部門においてもその精神なくしては、現代のビジネス競争で勝ち抜く事は難しいと言えよう。昨今のヒット商品をみても、その新しさは、突然出現したものではない。よくよく考えるとそのエッセンスは、過去の○○にあった、過去の○○を応用したものだった、過去は受け入れられなかった○○が現代人に支持された、などが当たり前なのだ。カップヌードルやボンカレーの例をみても、やはりロングセラーとして残っているのは、第一号商品なのだ。類似商品は、世の流行とともに生まれては消える。つまり原理原則、根本真理、唯一無二が宿っているものは、人類社会が何千年経とうが永遠に真理であり、人間が欲しているものなのだ。この『論語』ですら、浮き沈みはあるにせよ、過去二千五百年間読み継がれているのだ。
 「古い」ということを別の解釈をすれば、「良い」ものだから持続するのだろうし、「力強い」ものだからその輝きを失わないのであろう。音楽でクラシックがショップから無くなることはあり得ないし、『論語』が書店の棚に並ばないことも、今後何千年経とうとあり得ない。つまりこのような視点、いわば本物志向の精神をもって仕事を創造するのであれば、決してその仕事に寿命はこないと考えよ。

為政(いせい)第二-十

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子曰、視其所以、觀其所由、察其所安、人焉捜哉、人焉捜哉、

子(し)曰(のたま)わく、其の以(な)す所を視(み)、其の由(よ)る所を観(み)、其の安(やす)んずる所を察(み)れば、人(ひと)焉(いすく)んぞ叟(かく)さんや。人焉んぞ叟さんや。

先生がいわれた、「その人のふるまいを見、その人の経歴を観察し、その人の落ちつきどころを調べたなら、[その人柄は]どんな人でも隠せない。どんな人でも隠せない」
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■「視」「観」「察」を駆使して、その人物を見極めよ。

 人が社会で何か事をなすには、何よりもまず人物の鑑識眼が大切である。いわゆる「人を見る目」である。特に組織的に複数人で活動するビジネスの場においては、これが無ければ何をしても失敗しかねない。「人に騙された」「スタッフが悪かった」と後で悔やんでも、結局は人を見る目が未熟だった自分自身が悪いのである。
 ここで孔子は、効果的な人物観察法として、視(し)・観(かん)・察(さつ)の三つの見方を説いている。第一に、その人の外面に現れた行為の良し悪しを視る。第二は、その行為の動機が何であるかをしっかりと観きわめる。第三は、更にその人の行為の落ち着くところはどこなのか、一体何に満足しているのかを察知すれば、必ずその人の真の姿が分かる、という見方だ。たとえ表向きには正しい行為に見えたとしても、その行為がもたらす結果が「悪性」を持っていたら、その人は決して清廉潔白な正しい人物とは言えないかも知れない。世の中、結構このようなことがまかり通っている。
 最初は誤解や批判を受けるような行為かも知れないが、人の圧力をものともせずに実行し、最後は皆のためになる結果を出す人もいる。このような人は政治家向きなのかも知れない。または、人のため地域のため、と称しながら、結局は私腹を肥やすようなことをする“政治屋”もいる。さてどちらが、君子然たる行為なのか。ビジネスリーダーたる者、人をどう見抜くかが、その第一の素養と心得るべきだろう。

為政(いせい)第二-九

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子曰、吾與囘言終日、不違如愚、退而省其私、亦足以發、囘也不愚、

子(し)曰(のたま)わく、吾(われ)回(かい)と言う、終日(しゅうじつ)違(たが)わざること愚なるが如し。退(しりぞ)いてその私(わたくし)を省(かえり)みれば、亦(また)以て発するに足る。回(かい)や愚(おろか)ならず。

先生がいわれた、「回と一日中、話をしても、全く従順で(異説も反対もなく)まるで愚かのようだ。だが引き下がってからそのくつろいださまを観ると、やはり[私の道を]発揮するのに十分だ。回は愚かではない。」
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■コラムは後日記載する

為政(いせい)第二-八

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子夏問孝、子曰、色難、有事弟子服其勞、有酒食先生饌、曾是以爲孝乎、

子夏(しか)孝を問う。子(し)曰(のたま)わく、色(いろ)難(かた)し。事(こと)有れば弟子(ていし)其の労に服(ふく)し、酒食(しゅし)あれば先生(せんせい)に饌(せん)す。曽(すなわ)ち是れを以て孝と為(な)さんや。

子夏が孝のことをおたずねした。先生はいわれた、「顔の表情がむつかしい。仕事があれば若いものが骨を折って働き、酒やごはんがあれば年上の人にすすめる、さてそんな[形のうえの]ことだけで孝といえるのかね」
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■コラムは後日記載する

為政(いせい)第二-七

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子游問孝、子曰、今之孝者、是謂能養、至於犬馬、皆能有養、不敬何以別、

子游(しゆう)、孝を問う。子(し)曰(のたま)わく、今の孝は是れ能(よ)く養うを謂(い)う。犬馬(けんば)に至(いた)るまで皆(みな)能(よ)く養う有り、敬(けい)せずんば何を以て別(わか)たんや。

子游が孝のことをおたずねした。先生はいわれた「近ごろの孝は[ただ物質的に]十分に養うことをさしているが、犬や馬でさえみな十分に養うということがある。尊敬するのでなければどこに区別があろう」
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■本物の「尊敬」こそが、組織を強くする。

 近頃は、物質的に不自由をさせなければ良いとされているが、これでは犬や馬と同じだ、と孔子は言う。そこに尊敬の心がなければ、それとどう違うのか、と。近頃は、核家族化が進むところまで進み、世代間の助け合いや知恵の継承、子供たちへの躾が徹底していないようだ。
 これは昨今の企業内でも大きな問題と言えよう。現在各メーカーでは、特に生産の現場で、職人芸的なスキルを後輩たちに継承するため大変な苦心をしているという。そもそも「孝」の本質が会社に浸透していないから、「尊び」「敬う」精神もなく、皆社員は役職や地位に対して頭を下げている。人間としての「社長」「部長」に心酔して頭を下げているのではない。これは管理職としてのビジネスマン全員に関わる初歩的な欠点である。だからこそ、いざという会社の危機に、組織が一体となって機能しないのではないか。人間、危機的な状態に陥って、まず何に頼るのかと言えば、地位や権限ではなかろう。その人間としての真実であり、信頼であり、迫力であるはずだ。口先ばかりの役職者に頼る者などいない。結局強いのは、人間としてのバックボーンがしっかりしているかどうかなのだ。
 日頃から、部下として上司に孝行をしようと考えているのなら、心底からその人に尊敬の念を持って仕えるべきだ。そうすれば、上司は上司らしく、部下に対応するのではないか。いざという時、親が子供に対して、命を賭しても守ろうとするのは、ひとえにこのような感情からなのだ。上っ面で役職に頭を下げている者に対して、上司は部下に命を投げださないものだ。

為政(いせい)第二-六

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孟武伯問孝、子曰、父母唯其疾之憂、

孟武伯(もうぶはく)孝を問う。子(し)曰(のたま)わく、父母は唯(ただ)其の疾(やまい)を之憂(うれ)う。

孟武伯が孝のことをたずねた。先生はいわれた、「父母にはただ自分の病気のことだけ心配させるようにしなさい[病気はやむを得ない場合もあるが、そのほかのことでは心配をかけないように。]」
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■上の世代がいたからこそ、自分が有る。これを敬い、活かし、次に繋げ。

 孔子は、親孝行とは自分の病気のことだけ心配させて、後のことは気に病まないですむようにしてあげることだと説いている。しかし東洋思想の大家・故安岡正篤先生のこの文の解釈は、少々違う。そもそも「孝」という字は「老」すなわち先輩・長者に「子」を合わせたもので、「連続・統一」を表す文字で、つまりただ単に親を大事にして、親に尽くすという意味だけではなく、親子・老少、先輩・後輩の連続・統一をも表しているという。また「疾」は、『呂氏春秋』によると「あらそう」と同義だとか。つまり「連続」ではない「断絶」と解釈でき、親はただ子供との断絶を憂える、という。
 どちらが正解か、ではない。どちらも正しい。孔子の説く哲学「徳」は、上を敬い、下を労り、「仁」という「愛」で世の中を平和にしようという考え方なのだ。いつの時代も「今時の若者はなっていない」と嘆いている。古代エジプトの文書にもこの“嘆き”が記されているとか。古今東西、世代間の軋轢は、皆の悩みの種だったのだ。であれば、私たちのなすべき態度はどうあるべきか。先代に伝わった知恵や技術を尊び、先輩や上司を尊敬する態度から、良好な人間関係が構築できるのではないか。これはビジネスのあらゆる場面で言えることである。現代は、年上の部下を持つような時代にもなった。だからこそ、それぞれの地位や役職の前に、一人の人間として、人間同士の関係をどう築くか、これはリーダーとしての最も重要な課題なのだ。

為政(いせい)第二-五

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孟懿子問孝、子曰、無違、樊遲御、子告之曰、孟孫問孝於我、我對曰無違、樊遲曰、何謂也、子曰、生事之以禮、死葬之以禮、祭之以禮、

孟懿子(もういし)、孝を問う。子(し)曰(のたま)わく、違(たが)うこと無し。樊遅(はんち)御(ぎょ)たり。子(し)之に告げて曰わく、孟孫(もうそん)孝(こう)を我に問う、我対(こた)えて曰(いわ)く、違(たが)うこと無しと。樊遅(はんち)曰(いわ)く、何の謂(いい)ぞや。子(し)曰(のたま)わく、生けるには、之に事(つか)うるに礼を以てし、死すれば之を葬(ほうむ)るに礼を以てし、之を祭(まつ)るに礼を以(もつ)てす。

孟懿子が孝のことをたずねた。先生は「まちがえないように」と答えられた。[そのあと]樊遲が御者(ぎょしゃ)であったので。先生は彼に話された。「孟孫さんがわたくしに孝のことを問われたので、わたくしは『まちがえないように、』と答えた。」樊遲が「どういう意味ですか。」というと、先生はいわれた、「[親が]生きているときには礼のきまりによってお仕えし、なくなったら礼のきまりによって葬り、礼の決まりによってお祭りをする[万事、礼のきまりを間違えないということだよ]」
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■コラムは後日記載する

為政(いせい)第二-四

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子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰、

子(し)曰(のたま)わく、吾(われ)十(じゅう)有(ゆう)五(ご)にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳(みみ)順(したが)い、七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず。

先生がいわれた、「私は十五歳で学問に志し、三十になって独立した立場を持ち、四十になってあれこれと迷わず、五十になって天命をわきまえ、六十になって人のことばがすなおに聞かれ、七十になると思うままにふるまってそれで道をはずれないようになった」
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■自分の人生設計とそのロードマップを作れ。

 これも孔子の言葉の中で最も有名なものの一つである。孔子は七十三歳で亡くなったとされているが、これを二十一世紀の現代人に当てはめて考えるのは間違いであろう。何せ二千五百年前の人物なのだ。日本では四百数十年前の織田信長の時代でさえ人生五十年と言われていたはずだ。十二、三歳で元服し、三十歳代で隠居している人生観だ。また孔子の身の丈は、1メートル90センチ以上はあったのではないかとされているので、人並みはずれた長寿の大男であったろう。時代が時代なので、知とともに武にも優れていたというのだから、まるで中国のスーパーマンのような存在だ。聖人なので多少の脚色はしかたのないことかもしれない。
 現代で考えれば、もっと前倒しの人生観で解釈するのが妥当なところだろう。しかし、ここで私たちが学ばなければならないのは、人生計画、いわば自分の成長過程のロードマップをしっかりと弟子に説いている点だ。とかく人は、人生を成り行き任せで生きていくものだが、孔子は弟子たちに「人生の目標と期限を定めて生きよ」と言いたかったのかもしれない。
 現代風に解釈するなら、十代で学問に志すことを始発点とし、二十代で精神的にも経済的にも独立し、三十代にはあれこれ迷わずにまっしぐらに仕事に生き、四十代に自分の社会的な使命を自覚し、五十代には何事にも動じないで後輩たちをも教育し、六十代には、自由に生きれるようになる。しかしその生き方は決して道を踏み外さない生き方であろう、というくらいになるだろう。まさしく、現代においても理想の人生設計である。

為政(いせい)第二-三

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子曰、道之以政、齊之以刑、民免而無恥、道之以徳、齊之以禮、有恥且格、

子(し)曰(のたま)わく、之を道(みちび)くに政(せい)を以(もつ)てし、之を斉(ととの)うるに刑(けい)を以てすれば、民(たみ)免(まぬが)れて恥(は)ずること無し。之を道くに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥(は)ずる有りて且(か)つ格(ただ)し。

先生がいわれた、「[法制禁令など小手先の]政治で導き、刑罰で統制していくなら、人民は法の網をすりぬけて恥ずかしいとも思わないが、道徳で導き、礼で統制していくなら、道徳的な羞恥心を持ってその上に正しくなる」
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■コラムは後日記載する

為政(いせい)第二-二

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子曰、詩三百、一言以蔽之、曰思無邪、

子(し)曰(のたま)わく、詩(し)三百(さんびゃく)、一言(いちげん)以(もつ)て之を蔽(おお)う。曰く、思い邪(よこしま)無し。

先生がいわれた、「詩経の三百篇、ただ一言で包み込めば『心の思いに邪なし』だ」
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■コラムは後日記載する

為政(いせい)第二-一

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子曰、爲政以徳、譬如北辰居其所、而衆星共之、

子(し)曰(のたま)わく、政(まつりごと)を為すに徳を以てすれば、譬(たとえ)ば北辰(ほくしん)其の所(ところ)に居(お)りて、衆星(しゅうせい)之に共(むか)うが如し。

先生がいわれた、「政治をするに道徳によっていけば、ちょうど北極星が自分の場所にいて、多くの星がその方向に向かって挨拶しているようになるものだ[人心がすっかり為政者に帰服する]」
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■コラムは後日記載する

學而(がくじ)第一-十六

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子曰、不患人之不己知、患己不知人也、

子(し)曰(のたま)わく、人の己(おのれ)を知らざるを患(うれ)えず。人を知らざるを患(うれ)うるなり。

先生がいわれた、「人が自分を知ってくれないことを気にかけないで、人を知らないことを気にかけることだ。」
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■背伸びせず、他人の尺度を気にせずに、自分の研鑽に徹せよ。

 人間は、人に良く思われたい、人に自分の存在を知っていて欲しい、と思いがちである。もっとこの感情が強い人は、有名になりたい、テレビに出たい、周りからチヤホヤされたい、などと言う自己顕示欲の固まりみたいな人もいる。しかしこのような考え方が蔓延している現代社会、いわば弱肉強食の資本主義社会では、このような態度は出世する人間には当たり前の態度と映るかもしれない。でもどうだろう。現代でも、本当に力ある人や本当のお金持ちという人々は、けっして目立とうとはしない。逆に人に知られることは、人の羨望や攻撃目標になってしまう、ということを良く知っている。他人に知られるということは、無用にライバルを作ってしまうことであり、逆に自分を小さな器の中に放り込むようなことなのだ。とかく“有名人”というものは、窮屈になり、他人の目を恐れるあまり自分の力を出し切れないものだ。
 やはり人間は、みだりに自己宣伝をしないで、現在の自分以上に自分を大きく見せようなどとしないで、ひたすら自己の研鑽に励むほうが良い。そうして向上心ともに日々を過ごしている人には、いつか必ず白羽の矢が立つ時がくる。その時、自分はまだその任に非ず、と言っても、周りがほっとかないものだ。きっと持ち上げてくれるはずなのだ。

學而(がくじ)第一-十五

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子貢曰、貧而無諂、富而無驕、何如、子曰、可也、未若貧時樂道、富而好禮者也、子貢曰、詩言、如切如磋、如琢如磨、其斯之謂與、子曰、賜也、始可與言詩已矣、告諸往而知來者也、

子貢(しこう)曰(いわ)く、貧しくして諂(へつら)うこと無く、富みて驕(おご)ること無きは何如(いかん)。子(し)曰(のたま)わく、可なり。未(いま)だ貧しくして道を楽しみ、富みて礼を好む者には若(し)かざるなり。子貢曰く、詩(し)に言う、切(せっ)するが如く磋(さ)するが如く、琢(たく)するが如く磨(ま)するが如しと。其れ斯(こ)れ之(これ)を謂(い)うか。子(し)曰(のたま)わく、賜(し)や、始(はじ)めて与(とも)に詩(し)を言うべきのみ。諸(これ)に往(おう)を告げて来(らい)を知る者なり。

子貢がいった、「貧乏であってもへつらわず、金持ちであってもいばらないというのは、いかがでしょうか。」先生は答えられた、「よろしい。だが、貧乏であっても道を楽しみ、金持ちであっても礼儀を好むというのには及ばない。」子貢がいった、「詩経に『切るが如く、磋るが如く、琢つが如く、磨くが如く、』と[いやがうえにも立派にすること]うたっているのは、ちょうどこのことでしょうね。」先生はいわれた「賜よ、それでこそ一緒に詩の話ができるね。前のことを話して聞かせるとまだ話さない後のことまで分かるのだから。」
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■切磋琢磨の心を内に秘めて、人には謙虚に接しなさい。

 貧乏であってもへつらいも無く、金持ちであっても驕ることの無いのは立派なことだが、貧乏な時にも道を楽しみ、金持ちであっても礼儀を忘れないと言うのは、もう一段上のレベルなのだ。企業にあっても、どうせ自分はヒラ社員だから、あまり出しゃばらないでおこう、役職者だから、控えめにして威張らないでおこうという姿勢だけでは、人の心に響かない。「こんな立場の人なのに、こんなことまで出来るのか」「こんな偉い人なのにこんな丁寧な態度で人と対応してくれのか」と感じたことはないだろうか。「能ある鷹は爪を隠す」というが、東洋人は奥ゆかしくも堂々たる態度の人を尊敬する。私は、私は、と言う自己主張の強さが尊ばれる現代では少々時代遅れかも知れないが、本当に力のある人物はいつも自然体である。それは更なる自分の力を最大限に引き出すための態度なのだ。
 また「骨や角を加工する職人がすでに切って形を整えた品に、さらにヤスリをかけてとぎ、玉や石を細工する職人がうって形を仕上げた品に、さらに砂石で磨く」という詩を持ち出し、先生はこのことを言われているのですね、と子貢が言い、孔子に褒められる。この詩句から「切磋琢磨」という故事成語が生じている。仕事の肝も、このもう一歩踏み込んだ態度、あと一押しの姿勢なのだ。

學而(がくじ)第一-十四

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子曰、君子食無求飽、居無求安、敏於事而愼於言、就有道而正焉、可謂好學也已矣

子(し)曰(のたま)わく、君子は食(しょく)飽(あ)くを求むること無く、居(きょ)安きを求むること無し。事に敏(びん)にして言(げん)に慎(つつし)み、有道(ゆうどう)に就(つ)きて正す。学を好むと謂(い)うべきのみ。

先生がいわれた、「君子は腹いっぱいに食べることを求めず、安楽な家に住むことを求めない。仕事によくつとめて、ことばを慎重にし、[しかもなお]道義を身に付けた人に就いて[善しあしを]正してもらうというようであれば、学を好むといえるだろうね」
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■コラムは後日記載する

學而(がくじ)第一-十三

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有子曰、信近於義、言可復也、恭近於禮、遠恥辱也、因不失其親、亦可宗也、

有子(ゆうし)曰(いわ)く、信、義に近ければ、言(げん)復(ふ)むべきなり。恭(きょう)、礼に近ければ、恥辱(ちじょく)に遠ざかる。因(よ)ること、其の親(しん)を失わざれば、亦(また)宗(そう)とすべきなり。

有子がいわれた、「信[約束を守ること]は、正義に近ければ、ことば通り履行できる。うやうやしさは、礼に近ければ、恥ずかしめから遠ざかれる。たよるには、その親しむべき人を取り違えなければ、[その人を]中心としてゆける」
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■人と人との間合いを知れ。人付き合いの極意を知れ。

 道義にかなっていれば、約束事も履行できる。人を敬って礼儀にかなった心であれば、恥辱を受けることはない。頼るようなことがある時には、その人物を見損なったり付き合い方を間違わなければ、その人をたてて付き合うことができる。まさしく、このような態度で人付き合いをしたいものだ。そうすればすべてが万事うまくいくであろう。
 しかし人間というものは、悪いことでも気安く約束してみたり、他人を敬わなかったり、人を見抜くことがヘタな者も多い。これが失敗の始まりである。やはり、信義に厚く、礼儀正しく、人を見る目がある人は強い。なによりこれこそリーダーとしての第一の条件でもある。社会人の人間関係は複雑怪奇で、学生時代のような純粋で一途な関係ばかりとは限らない。怪しい人物とでも共同で仕事をしなければならないこともある。ビジネスパートナーといえども、騙し騙される関係が無いとは言えない。とにかく人を見る「目利き」「達人」とならなければ、足下をすくわれる世界なのだ。
 その参考になるのは、孔子の人物観察法「視(し)・観(かん)・察(さつ)」である。
「視」その人の外面に現れた行為の善悪正邪を視る。「観」その人のその行為の動機は何であるかをとくと観きわめる。「察」さらに一歩進めてその人の行為の落ち着くところはどこか、その人は何に満足して生きているかを察知する。そうすれば、必ずその人の真の性質が明らかになるとのこと。たとえ外面に現れた行為が正しく見えても、その行為の動機が正しくなければ、その人は決して正しい人物とは言えない。そんなに人物には、近づくべからず。

學而(がくじ)第一-十二

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有子曰、禮之用和爲貴、先王之道斯爲美、小大由之、有所不行、知和而和、不以禮節之、亦不可行也、

有子(ゆうし)曰(いわ)く、礼の和を用(もっ)て貴(たっと)しと為すは、先王(せんのう)の道も斯(これ)を美と為す。小大(しょうだい)之(これ)に由(よ)れば、行われざる所有り。和(わ)を知りて和すれども、礼を以(もっ)て節せざれば、亦(また)行うべからざるなり。

有子がいわれた、「礼のはたらきとしては調和が貴いのである。むかしの聖王の道もそれでこそ立派であった。[しかし]小事も大事もそれ[調和]に依りながらうまくいかないこともある。調和を知って調和をしていても、礼でそこに折り目をつけるのでなければ、やはりうまくいかないものだ」
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■コラムは後日記載する

學而(がくじ)第一-十一

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子曰、父在觀其志、父沒觀其行、三年無改於父之道、可謂孝矣、

子(し)曰(のたま)わく、父在(いま)せば其の志(こころざし)を観(み)、父没(ぼつ)すれば其の行(おこな)いを観る。三年(さんねん)父の道を改(あらた)むる無(な)くんば、孝(こう)と謂(い)うべし。

先生がいわれた、「[人物の評価には]父のあるうちにはその人の志を観察し、父の死後ではその人の行為を観察する。[死んでから]三年の間、父のやり方を改めないのは、孝行だといえる」
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■コラムは後日記載する

學而(がくじ)第一-十

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子禽問於子貢曰、夫子至於是邦也、必聞其政、求之與、抑與之與、子貢曰、夫子温良恭儉譲以得之、夫子之求之也、其諸異乎人之求之與、

子禽(しきん)、子貢(しこう)に問うて曰く、夫子(ふうし)の是の邦(くに)に至るや、必ず其の政(まつりごと)を聞く、之(これ)を求めたるか、抑々(そもそも)之(これ)を与えたるか。子貢(しこう)曰く、夫子(ふうし)は温(おん)・良(りょう)・恭(きょう)・倹(けん)・譲(じょう)、以(もっ)て之(これ)を得たり。夫子(ふうし)の之(これ)を求むるは、其れ諸(こ)れ人の之(これ)を求むるに異(こと)なるか。

子禽が子貢にたずねていった、「うちの先生(孔子)はどこの国にいかれても、きっとそこの政治の相談を受けられる。それをお求めになったのでしょうか、それとも[向こうから]持ちかけられたのでしょうか。」子貢は答えた、「うちの先生は、温(おだやか)で良(すなお)で恭々(うやうや)しくて倹(つつま)しくて譲(へりくだり)であられるから、それでそういうことに[どこの国でも政治の相談をうけられることに]なるのだ。先生の求めかたといえば、そう、他人のもとめかたとは違うらしいね[無理をしてことさらに求めるのとは違う。]」
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■コラムは後日記載する

學而(がくじ)第一-九

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曾子曰、愼終追遠、民徳歸厚矣

曽子(そうし)曰く、終(おわり)を慎しみ遠きを追えば、民の徳、厚(あつ)きに帰す。

曾子がいわれた、「[上にたつものが、]親を手厚く葬り祖先をお祭りしていけば、人民の徳も[それに感化されて]厚くなるであろう」
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■人の生の終わりこそ、真心をもって礼を尽くせ。

 大人になればなるほど、親や親類縁者の葬式だけではなく、いろいろな付き合いの人々との永遠の別れに出くわすものだ。人生には儀式が多いものだが、葬式だけは別格と心得よ。
 誕生会や結婚式、歓送迎会、何かの祝賀会など、多くの人生の区切りで、人は友人らと会い、祝い、励まし、明日への糧としてきた。しかし葬式だけは、主人のいない、最後のパーティであり、人間としての感謝の心を表わす最後の場面なのだ。
 それはなにもご遺族の方々に心を伝えるために行くのではない。死者の霊を慰めるためだけでもない。もっとも大切な考えとは「葬式とは、自分自身の人生のタイムリミットを、切に実感するための最高の機会だ」ということにほかならない。
 人は、必ず死ぬ存在なのだ。自分の持ち時間も有限だからこそ、一日一日が大切なのだ。それを教えてもらえるのが葬式と考えよ。人望の篤いビジネスパーソンほど、縁ある人の葬式を大切にする。どんな重要なアポイントメントをキャンセルしてでも、葬式をおろそかにしてはならない。

2008年7月2日水曜日

學而(がくじ)第一-八

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子曰、君子不重則不威、學則不固、主忠信、無友不如己者、過則勿憚改、

子(し)曰(のたま)わく、君子重からざれば則(すなわ)ち威(い)あらず。学べば則ち固(こ)ならず。忠信(ちゅうしん)を主とし、己(おのれ)に如(し)かざる者を友とすること無かれ。過(あやま)てば則ち改むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ。

先生がいわれた、「君子はおもおもしくなければ威厳がない。学問をすれば頑固でなくなる。[まごころの徳である]忠と信とを第一にして、自分より劣ったものを友達にするな。あやまちがあればぐずぐずせずに改めよ。」
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■良い友やライバルを持て。自分に過ちがあればすぐに改めよ。

 良き師、良き友を持つことは、良き人生にとっては不可欠なことだ。昔から悪事の陰には必ず悪友がいる、と言うではないか。自分を高めるには、やはり自分に何かしらの良い刺激や示唆を与えてくれる友人やライバルを多く持つべきであろう。「類は友を呼ぶ」とも言う。やはりそのような良い人物と関係を持ちたいのなら、まずは自分自身がそのような人物になるための努力が欠かせないのだ。良い友には、忠実に、誠意と信頼を持って付き合うべきだ。またしっかりと学問をしていれば、頑固にならず、そのような付き合い方ができるはずだ。

學而(がくじ)第一-七

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子夏曰、賢賢易色、事父母能竭其力、事君能致其身、與朋友交、言而有信、雖曰未學、吾必謂之學矣、

子夏(しか)曰く、賢(けん)を賢(けん)として色(いろ)に易(か)え、父母に事(つか)えて能(よ)く其の力を竭(つく)し、君(きみ)に事えて能く其の身を致し、朋友(ほうゆう)と交わるに言いて信有らば、未だ学ばずと曰うと雖(いえど)も、吾(われ)は必ず之を学びたりと謂(い)わん。

子夏がいった、「すぐれた人をすぐれた人として[それを慕うことは]美人を好むようにし、父母に仕えてはよくその力をつくし、君に仕えてはよくその身をささげ、友達との交際ではことばに誠実さがある、[そうした人物なら、だれかが]まだ学問はしていないといったところで、わたしはきっと学問をしたと評価するだろう。」
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■まず「人としてやるべきこと」をやることが、学問に優先する道である。

 他人を尊重して敬う。父母や上司に対しても、また友人とも誠実に付き合い、しっかりと尽くす心を持って接していれば、たとえ学問がなくても、実は学問をした者と同様の価値ある人間なのだ。孔子の説く学問も、すべて人道のためであり、書物を読むことだけが学問ではないと言っている。この『論語』自体も、全体を貫く思想として実生活と学問との間には少しも区別がない。徹底した実学の思想である。
 そもそもビジネスの根本を考えてみるべきであろう。商売は「お金儲け」が目的なのか。それとも「事業を通じて人間社会に貢献する」ことが目的なのか。答えは、後者であろう。社会に貢献できるからそ、利益を得ることができるのではないか。昨今のビジネスマンに欠けている精神がこれである。まず、原点の原点に立ち返ってみることだ。自分たちのやっていることの究極の目的は一体何なのか。これを知ってスタートした企業は、絶対に強い。

學而(がくじ)第一-六

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子曰、弟子入則孝、出則弟、謹而信、汎愛衆而親仁、行有餘力、則以學文、

子(し)曰(のたま)わく、弟子(ていし)入(い)りては則(すなわ)ち孝、出(いで)ては則ち弟、謹しみて信、汎(ひろ)く衆を愛して仁に親しみ、行いて余力有れば、則ち以て文(ぶん)を学べ。

先生がいわれた、「若者よ。家庭では孝行、外では悌順、慎んで誠実にしたうえ、だれでも広く愛して仁の人に親しめ。そのようにしてなお余裕があれば、そこで書物を学ぶことだ。」
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■現場主義で学べ。そこで沸き上がる疑問こそが、真の学問の入口である。

 父母や親戚といったプライベートな世界だけではなく、ビジネスの現場においても、年長者、先輩に対して、孝行の気持ちを失わず、敬意を持って接しなければならない。顧客やそうでない人との区別も無く、広く人々を愛して、徳のある人物と付き合うことだ。
 孔子は厳しく実学としての学問を説いていた。机上の空論ではなく、実生活で活かすための学問である。いわば“活学”である。頭でっかちと呼ばれるような勉強の仕方では不足である。まずは実体験を経験、体得することから、次の段階に進むことが一番の近道である。実社会では、「ものを知っている人」より「ことを実行できる人」が尊重されるのである。理論は後から説明できれば善し、とするくらいが丁度よいのではないか。さまざまな企画を考えるもよし。しかし、他人に先手を越されて「ああ、それは自分も考えていたことだ」と言っても何にもならないのだ。「それは分かっています」と言っても、いま現実に目の前にあることができていなければ「分かっている」とは言えない。
 そのためには、職場においても先輩たちに付いてしっかりと学ぶことだ。先達には先達なりの実績と経験がある。それを素直に学ばなくて、いくら独学しても時間のロスは否めない。普段から先輩を尊敬している者は、物事のポイントを優しく教えてくれ可愛がってくれるものだ。できる経営者も、“人たらし術”を心得ている。年上の知恵や経験をしっかりと使いこなせるものだ。また普段から良い人物と付き合いの多い人は、いざという時、助け舟を出してくれるものだ。そんな良い人脈を常々広げておくのも重要だ。

學而(がくじ)第一-五

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子曰、道千乘之國、敬事而信、節用而愛人、使民以時、

子(し)曰(のたま)わく、千乗(せんじょう)の国を道(みちび)くに、事を敬(けい)して信、用を節(せつ)して人を愛し、民(たみ)を使うに時を以(もっ)てす。

先生がいわれた、「諸侯の国を治めるには、事業を慎重にして信頼され、費用を節約して人々をいつくしみ、人民を使役するにも適当な時節にすることだ。」
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■マネジメントの肝(きも)は、「人」と「タイミング」にある。

 企業とは、利益追求のための組織であり、また社会貢献のための存在でもある。そのためにも何より、売上をあげ、利益率を考えなければならない。しかしそのやり方にも「道」がある。まずは、そこには必ず「人」がおり「人が主役である」ということを肝に命じなければならない。ヒラ社員でも、中間管理職でも、ましてや経営者であっても、この基本を忘れてはならない。設備や機械やシステムが利益を叩き出すのではなく、それを管理、運転するのは人なのだ。昨今のように「全員経営」という言葉がもてはやされている現代だからこそ、なおさらそのヒューマンファーストの哲学を徹底しなければならない。
 ところがどうだ。現代の日本経済の再生は、人を切って再生した。正社員を派遣労働者やパートタイマーに変えて息を吹き返したのだ。だからこそ、これからのビジネスパーソンは、これを教訓として、「慎重な事業展開」で「顧客の信頼」を着実に勝ち取り、節約しながらも社員や顧客のためになる仕組みやサービスを創造すべきだ。ましてや社員いじめのような過酷な労働条件で、その力を発揮させようとしてはならない。
 最も重要なのは、世の中の流れや事業の流れをどうつかみ、そこにどう「人」を乗せていくかにある。ここぞ、というタイミングもあるだろうが、時機を視て、人を得て、安定感のある仕事づくりをすべきだ。そうそう「絶好のチャンス」というものは有り得ない。

學而(がくじ)第一-四

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曾子曰、吾日三省吾身、爲人謀而忠乎、與朋友交言而不信乎、傳不習乎

曽子(そうし)曰(いわ)く、吾(われ)日に吾(わ)が身を三省(さんせい)す。人の為に謀(はか)りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。習わざるを伝うるか。

曾子がいわれた、「私は毎日何度も我が身について反省する。人の為に考えてあげて真心からできなかったのではないか。友達と交際して誠実でなかったのではないか。よくおさらいもしないことを[受けうりで]人に教えたのではないかと。」
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■日々、反省せよ。自省できない者に進歩はない。

 最近流行の「成功哲学」は、自分自身を鼓舞するものはあるが「自省せよ」とは説かない。アメリカ発の教育プログラムが多いようだが、弱肉強食の、かの国の流儀では「アイム・ソーリー」と言えば、即、自分の負け、だとか。自分から交通事故を起こしても絶対に謝らないそうだ。訴訟国家、多民族国家の行きつく先は、まあそんなところだろう。しかしここ日本では、そうあっては欲しくない。非は非として素直に謝るところから、新たな出発があると考える。人間再生の思想があるのだ。死ねば、人は“神”とさえ成る。
 人間、毎日、失敗しないで生きる者は無い。「あの時、上司にあんな発言はしない方がよかった」「顧客に自社の非を指摘されて、謝るどころか、言い訳をしてしまった」「相談に来た友人を軽くあしらってしまった」「部下に間違ったことを教えた」などなど、日に三省どころか、五省も六省もしているのが普通ではないだろうか。
 ビジネス社会で信頼を得るには、まず素直な心が必要だ。顧客の真のベネフィット(利益や利便性)を考えるところに勝機がある。ビジネスを戦争に例える考え方もあるが、東洋思想では商売上でも相手を思いやる心を善しとする。つまり「徳」を積み重ねることから「本当の利」を得られると考えた。損をして得を取る。このサムライ魂にも似た商いの哲学は、この日本からいつ頃無くなったのだろうか。反省を恥ずかしがってはいけない。謙虚さは、新たな進歩やアイデアを生み出し、次回の勝利のための糧となる。

學而(がくじ)第一-三

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子曰、巧言令色、鮮矣仁、

子(し)曰(のたま)わく、巧言令色(こうげんれいしょく)、鮮(すく)なし仁(じん)。

先生がいわれた、「ことば上手の顔よしでは、ほとんど無いものだよ、仁の徳は。」
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■上っ面だけの人間になるな。徳のある人物になれ。

 ビジネスで“言葉上手”や“へつらい笑顔”は、得か損か。この問題は、2500年前の孔子の時代から現代まで、相も変わらぬ問題らしい。進歩した現代社会であっても、自らの周りをみても納得のいく忠告のようだ。結局、人間は、何千年経っても進歩しないものらしい。
 ここでいう「仁」とは、孔子から連綿と今に続く「儒学(教)」の根本テーマであり、ひらたく言えば、尊敬されるべき人が到達しなければならない境地であり、人が目指すべき究極の目標であり、なにより人間としての「道徳」である。人は、徳をもって仁となるのである。この精神は、特に「拝金主義」に犯された現代のビジネス社会では、もっとも重要な哲学であろう。孔子は、別の章においても「利益を求めるにも道がある」と説いている。村上某や堀江某といった“平成成金”と言われる人々にも、ぜひ聞いて欲しいテーマだ。徳の無い商売は、必ず衰退する。
 確かにうまい言葉で、目先の利益が取れたとしても、人と人の信頼が無いビジネスは長続きしない。これも分かりきったことだ。しかし、日々仕事の忙しさや時代のスピードに追われ、なかなか誠実な顧客対応ができないのも真実だ。でも、長くその仕事で名を成している人物をみると、巧言令色どころか、朴訥にして言葉少ない人が多いことも真実である。たとえばクラブという酒場においても、得てしてNo.1ホステスには、決して美人はいない。顔かたちではなく、「徳」のある付き合いをしているのだ。外回りの営業職についても、心に刻んで欲しいのは、ビジネスの究極の目的は「顧客との絶対的な絆」をつくることだ。だからその人の「徳」が大切なのだ。特にフェイス・トゥ・フェイスのビジネスにおいては、顧客は商品を買うのではなく、その人の「徳」を買っているのだ。

學而(がくじ)第一-二

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有子曰、其爲人也、孝弟而好犯上者、鮮矣、不好犯上而好作乱者、未之有也、君子務本、本立而道生、孝弟也者、其爲仁之本與、

有子(ゆうし)曰(いわ)く、其(そ)の人と為りや、孝弟(こうてい)にして上(かみ)を犯(おか)すを好む者は鮮(すく)なし。上を犯すを好まずして乱を作(な)すを好む者は未(いま)だ之れ有らざるなり。君子は本(もと)を務む、本(もと)立ちて道生ず。孝弟なる者は、其れ仁(じん)を為すの本か。

有子がいわれた、「その人柄が孝行悌順でありながら、目上に逆らうことを好むような者は、ほとんど無い。目上に逆らうことを好まないのに、乱れを起こすことを好むような者は、めったに無い。君子は根本のことに努力する、根本が定まって初めて[進むべき]道もはっきりする。孝と悌ということこそ、仁徳の根本であろう。」
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■家庭を大切にせよ。本当に大切なものは何か。原点に立って思考せよ。

 有子は孔子十哲の一人ではないが、曾子と並ぶ賢人と言われている。『論語』の編纂は有子と曾子と門人たちがやったので、特に「子」という敬称を付けている。
 日頃、家庭で親孝行な者、つまり家庭円満な者は、会社でも上司に逆らったり、問題を起こしたりすることは少ないものだ。別の見方をするなら、良き会社員(組織人)となりうるには、良き家庭教育がなされなければならない、ということだ。人間教育の原点は、あくまで家庭にあるのだ。そこで、父から厳しさ、母から優しさを学んで人は成長する。
 昨今、人間の基礎教育である家庭教育が崩壊しているから、企業の大卒新入社員研修でも、全くバカバカしいほどの一般常識から教えなければならない。挨拶の仕方や敬語から教えるのは当たり前となっている。このような現状を生み出した現代の日本社会は、マンパワーが重要だと言われつつも、ものすごい遠回りの教育を経なければならない時代となった。他のアジア諸国と比べるのはどうかとも思うが、貧しくても幸福感と人間の絆が強い国々を見るにつけ、この国の将来が心配になってしまう。だからこそ、ますますこのような東洋の古典思想や儒学の復権を願うものである。
 またこの項の後半部分にもある通り、良き人物は、事の本質を大切にする。リーダーとしてのコンピテンシー(業績優秀者が保有している能力)もまた、まさに原理原則を基本ベースに思考するものだ。決して枝葉末節の論議に巻き込まれない。現点がしっかりしていなければ、仕事の方向性も定まらないのは当たり前である。企業で言えば「理念」「戦略」が明確で正しくなければ、すばらしい成果は挙げられない。これは個人ついても言えることだ。人として正しい行為を積み重ねなければ「仁徳」のある人格には昇華できない。

學而(がくじ)第一-一

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子曰、學而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎、

子(し)曰(のたま)わく、学びて時に之(これ)を習う、亦(また)説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)遠方より来たる有り、亦楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。

孔子先生がいわれた、「学んでは適当な時期におさらいをする、いかにも心嬉しいことだね。[そのたびに理解が深まって向上していくのだから。]だれか友達が遠い所からからも尋ねて来る、いかにも楽しいことだね。[同じ道について語り合えるから。]人が分かってくれなくても気にかけない、いかにも君主だね[凡人にはできないことだから。]」
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■学ぶ姿勢を持ち続けよ。良き友と語り合え。自分の道を行け。

 おそらく『論語』の中でも最も有名な一節ではなかろうか。論語は知らなくても、この文章を聞いたことがない、という日本人はいないだろう。またこの“学ぶ”ことの大切さを第一に説いたこの文章は、まさにこの書物の哲学そのものであり、この書の入口としては全く的確なものと言える。
 私も新卒採用と社員教育を担当して、日々大学生や新入社員と面談する機会が多いのだが、常々“学歴”は問わないが“学力”は問うよ、と言っている。ここで言う“学力”とは文字通り“学ぶ力”である。このスキルがない者は、いくら研修を重ねても、砂漠に水を撒くようなものだ。まったく時間と労力の無駄である。学歴はあっても学ぶ力が弱い者、学歴はなくても学ぶ力が強い者、人それぞれである。しかし社会人として重要なのは、やはり“学力”であろう。なぜなら、“学歴”は“過去”のものだが、“学力”は“現在”のものだからだ。
 私たちが職業人が日常を過ごすにあたって、まず第一義に心がけねばならないのは、まさにこの学ぶ姿勢である。担当するプロジェクトが成功しようが、失敗しようが、まずその心のうちに秘めていなければならないのは、この学ぶという姿勢だ。良いことからも悪いことからも、どんなことからも、何かを“学び取る”という、貪欲で柔軟な態度なくしては、人間としての成長もないし、もちろん出世もない。心は強くならないのだ。人は成功事例から“勝ち方のエッセンス”を学ぶ者もあれば、たとえ失敗したとしても、謙虚にそのことから、その反攻策・挽回策を立案する者もいるのだ。
 またこの一文には、“学ぶ手法”も示唆されている。それは「繰り返し(またはタイミング)」と「他者の視点」と「人的ネットワーク」である。そして最後に「他人の評価を気にするな」と喝破している。まさに勝ち方を知っているビジネスパーソンの考え方そのものと言えよう。「名刺を財産とせよ」「同士と語り合え」「他人の視点を活かせ」「勝つまで繰り返せ」「タイミングを的確につかめ」「評価を気にするな」こんな習慣が、きっと、あなたの仕事をワンランク上に引き上げてくれるはずだ。

平成ビジネス論語(BIZ-RON)をはじめる


『平成ビジネス論語』(BIZ論語)を書き始める。

私は、18歳以上30歳代くらいまでの若い社員たちを研修する立場にいる。いわば地方都市にある中小企業内の研修講師という仕事だ。

その時々のトピックをネタに、おもに「いかに生きるべきか」「いかに働くべきか」「いかに他者と向き合うか」などということを「人間学」を中心に講じている。

受講対象者が「接客」に携わる新人社員と中間管理職ばかりなので、もちろん、実務的な知識もやってはいるが、重要科目としてはコミュニケーションや心理学的な話が多い。

そこで、常々感じることは、現代社会の教育現場で最も不足していることは「道徳観」や「倫理観」である、ということだ。

つまり、人間としての最も基本的な「生活態度」や「仕事への心構え」「ものの見方や考え方」が、なっていない、ということだ。まったく嘆かわしいほどに、幼稚な精神構造の若者たちが多い。

そこで、彼らの“教師”として、私なりに勉強していくと、ある分野に辿り着いた。それが「中国の古典思想」である。古典と言っても、21世紀の現代日本においても、決して古くないことに気がついた。

古くないどころか、まさしく「温故知新」であり、今こそ必須の学習科目である、との感を抱いた。たとえば、孔子の「仁」「義」「礼」「智」「信」を説く『論語』にしても、現代社会のカンフル剤たりえる教育素材だと確信する。

それどころか、約2500年前の書物ながら、その生命力たるや、西洋における“聖書”をも凌駕する人間の英知だと思う。まさしく「東洋の聖書」なのだ。中国や韓国、日本などで読み継がれ、その民族の精神構造に大きく影響を与え続けてきたのだ。

そこで私は、自社の研修教材として『論語』をテキスト化するため、いろいろと解説文を書き始めた。しかし、日々の雑務に追われて、なかなか書き進めることができない。

『論語』は500項目ほどの、そんなに長くない本なのだが、かえって短い文章だからこそ、様々な読み取り方ができ、奥深い世界となっている。

そこで、1項目ごとに、ブログとして公開していくことで、自分自身の怠け癖にムチを入れたいと思った。たとえ二、三人程度の読者しかいなくても、それが励みとなって、書き続けられると考えたのだ。

何年かかるか分からないが、一章一章、東洋人の精神構造に深く根付いた「人生哲学」の数々を、現代人にも分かりやすく説明していきたい。

『論語』の原文と通釈は、金谷治博士の『論語』(岩波文庫)を基本とし、原文⇒読み下し⇒現代語訳⇒オリジナルコラムの順に掲載した。ただし、読み下しと現代語訳の部分は、若い人にも分かりやすくするために筆者が加筆修正した部分もある。

はじめに言っておくと、私に漢文学者の素養はない。このブログでは、学術的に『論語』を解説するというよりは、「21世紀のビジネスマン」が、これをどう解釈し、どう読んで、ビジネスに生かすのか、というオリジナルコラムとして読んでいただきたい。

だから、当初タイトルは『ビジネス論語』としたかったのだが、かの著名なジャーナリスト・扇谷正造氏が過去に『ビジネス論語』という本を出版していたので、ここでは『平成ビジネス論語』として、愛称を『BIZ-RON』と決めた。